お母どぅん

投稿者: | 2020-12-07

 母と久しぶりに1時間ほどゆっくり話をした。他愛のない、普通の世間話。父はすぐ近くのソファで寝息を立てている。少し電気を落とした暗めのリビングで、街の人出が減っていく寂しさや父の健康のこと、空を車が飛ぶ未来の話など止めどなく会話は流れていった。とても幸せな時間。母は先日左目の緑内障の手術を終えたばかりで、今日それ以来10日間程ぶりだろうか初めて化粧をしたと言っていた。

 母が悪性リンパ腫という血液のがんで手術したのは17年ほど前だった。生死をさまよった。家族は母の死を覚悟した。もちろん間違いなく本人が一番恐ろしかったと思う。半年くらいの入院生活で順調といえば順調に回復していった。抗がん剤で髪の毛が抜けたり、よくTVドラマで見るような状況に一時なっていたが、今考えるとそれくらいは何でもなかった。それくらいで済んで本当に良かった。回復していく中で母は顔の毛も抜けて毛穴がきれいになり、肌がきれいになったと冗談のように喜んでいた。確かに艶があって若々しく見えた。「がん=死」というそれまで当たり前と思っていた概念が良い意味で崩された。月並みだが本当に医療は進歩しているんだと実感した。退院後、計画的に慎重に検査を受け続け経過観察期間の15年が何ごともなく経過し、そして今年めでたく母は喜寿を迎えた。つい先日までは再発など「がん」については本当に安心しきっていた。

 四か月ほど前、母に今度は胃がんが見つかった。極めて初期段階のもので、胃カメラで胃内部の表面にある小さなかん細胞を削り取っただけで難を逃れることができたようだ。入院は1週間だった。行きつけの開業医が異変に気づき迅速に大学病院での検査を段取ってくれたおかげで、たったそれだけの手術・治療で再び母はがんから復活した。小さいと言ってもがん細胞に打ち勝ったことは間違いない。手術後の感想を聞くと、「お腹がすいてお腹がすいて仕方がなかった」と苦笑いしていた。ただ「運がいい人」という言葉だけでこの強運な人物を片付けていいものだろうか。さらに緑内障の手術がその後に続き、さぞ心と身体の疲れが溜まっていることだろうと思うが、今日母は町中を歩き回ったそうでスマホの万歩計アプリは8,500歩以上を示していた。ちなみに家で掃除をするときなどは携帯していないそうだからトータルで一万歩に近いと思う。もしかしたら一歩一歩に生きる喜びを“踏み”しめて歩いていたのだろうか。ホントに大したもんだ。

 私は母と同じその開業医の先生にかかっていて、何かあるとすぐその先生に診てもらっている。たまにランニングコースでお会いする、普段から毎日のように走っていらして市民マラソン大会にも出場しているベテランランナーでもいらっしゃる。話もしやすい柔和な方で私はその先生をとても信頼している。私は母のお腹から生まれ当然母の遺伝子を受け継いでいる。先日私の血液検査結果を検証しながらその先生が「問題なし」と診察してくださった。その帰り際がん検診を受けるように勧められた。私に自覚症状があるわけではなく、念のためということだろう。そういう年齢になってきたということだ。明日が来るかは誰にも分からない。人間ドックを予約しようと思う。

 22時を過ぎて母が「今日は化粧を落とさなきゃ」と風呂場へ消えていった。
 神さま、ありがとうございます。

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