変わってゆくものと変えたくないもの

投稿者: | 2020-12-14

 初めてワープロなる機械をいじったのは大学の頃だった。今から約30年前。当時はまだパソコン、いやマイコンと呼んでいたような気がする物は、存在はしていたのだろうが買おうなどとは思うことさえなかった。知識・理解を超えた代物だった。カセット式のリボンを交換しながら使うワープロは大学の卒業論文を書くために購入したんだったと思う。毎日のように朝日新聞の天声人語を打ち込んで練習したことを覚えている。苦手な「字を書く」行為を回避できることに希望を見出したのかもしれない。こうして30年後に毎日モニターに向かって同じような仕事をする日がくるとは想像すらできなかった。

 当時アルバイト先の後輩が肩からかけるハンドバッグくらいの大きさの携帯電話を持ってきて自慢げにしていた。今考えれば、あいつはお金持ちのお坊ちゃまだったのだろうか。バブルの終わりかけぐらいの時期だったと思う。移動しながら電話がかけられるなんて夢のようだった。けれども高価すぎたからか基地局がまだ少なかったからか、すぐに広く普及したわけではなかった。それからポケベルが流行り、PHSになり、随分小型になった携帯電話が多く使われるようになっていった。この30年間、電話に限らずあらゆる電化製品を取り巻く世界において、いわゆるデジタル化は我々の社会と生活の様子を大きく変えていった。

 新しい利潤追求の手段として、つまりお金をたくさん稼げる可能性を嗅ぎつけて企業・社会がデジタル進化を追い続けてきた。さらにこの波に乗り遅れては居場所が無くなってしまう恐怖が変化を加速させた。新しいアイデアをひねり出し、いち早く技術を開発し、そして情報をターゲットへ素早く伝え、売る。結果、世界の人々の間に巨大な貧富の差が生まれた。確かに便利な技術・環境が確立した。普段は会えない遠くに住む親戚や知人と容易に情報を交換することが出来、また例えばテレビ番組制作など以前は何千万円もする機材を使わないとできなかった作業が個人レベルでも可能になり、学歴・職歴に関係なく様々なバックグラウンドを持った人たちに多様なチャンスが広がった。かく言う私もこうして自分の思い・考えを広く伝えるためのブログが書ける。もはや誰にも止めることができない変化なのだと思う。

 「永遠」に思いを馳せる心が人にはあると思う。変わらずにあるもの、万物に通ずる真理、心が癒やされる場所。時代は変われど、変えてはならないと信じるものを変えずに保ちたいと思うのは私だけではないはずだ。それが何かをいつも探しながら、あるいはもうすでに見つけているのであれば常に本物かどうか確かめながら経験を重ねていきたい。純粋にデジタルの力で世の中の人の為に役立ちたいと本気で目指す人の心は、私は変わらないでいて欲しいと願う。

 あの初期型の携帯はほとんどどこにも繋がらなかった。あいつどうしてるかな。

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