新しい日本人らしさへ

投稿者: | 2020-12-16

 「歯を食いしばって頑張る」とか「頑張れば何でもできる」等の俗に言う“根性論”を長く信仰してきて、疲れてしまった。「できません」と言うことがかつてはタブーだったような気がする。気のせいだろうか。「弱音を吐くなんて男のすることじゃない、死ぬ気で頑張りなさい。」私の父がそういう教えを強いる人だったわけではない。何となく社会の空気がそんな風だった気がする。弱肉強食というか、頑張れない人は落ちていき勝ち残った人が賞賛を浴びる。だから頑張って勝ちなさい。疲れたのは私だけではないはずだ。

 「戦後の貧困から脱し日本を豊かな国にしたい。それが叶うまでは泥水を飲んででも頑張る。」そういう気運が高度経済成長を支え、日本が世界の中で認められる存在に成長していったことは事実だと思う。私たちはその下の世代。成功体験を携えて父の世代が「自分たちがやったようにあなたたちもやりなさい、そうすれば成功でき日本が良くなる」と導こうとした。しかし豊かに育った私たちは泥水の飲み方を知らない。精神的に弱くなったと言われれば、私はそれを否定しない。ひとつの永く続いた精神世界は終焉を迎えているように感じる。

 心の時代が来た。誰もが抱える己の弱さを押し隠し、見栄を張って頑張り続けてきた日本人の心が限界に達したように思う。未来に希望が持てない不安がどんよりと空を覆っている。減少傾向にはあるものの年間の自殺者は2万人に達し、子供たちはいじめに苦しみ増加傾向が続く小中学校の長期欠席者数は25万人以上に上り、また少子化には歯止めがかからない。そしてコロナ、現状は厳しい。
 でも人々が心の叫び声を上げ、助けを求めたって良いんだ。男の子が男の子を好きだって言っていいんだ。「できません」て言っていいんだ。少しずつ互いの弱さを認め合い、弱い者へ救いの手を差し伸べることが許容されてきているように思う。歓迎すべき兆候だと思っている。脇目も振らずがむしゃらに頑張ってきた時代から西洋をはじめとした他国文化からの刺激を日本人が広く本格的に受け始めてきたとも言えるかもしれない。
 インターネットを介した国際情報社会がもたらした影響は計り知れない。それは純日本的なものとの決別を意味するのだろうか。そして更に移行が進むだろう新しい世代では日本人らしいものの考え方は尻すぼんで行くのだろうか。

 私は勝つことだけのために、なり振り構わず頑張ることはもうできない。けれども現代のいわゆる“職人”と見なされる人々や技術研究者の方々の目の中に光る「武士道精神」みたいなものを葬り去るべきではないと思う。ひとつの道を追い極めようとする精神・試みはかけがえがない。
 私も自分を磨き上げたいという欲求は今でも非常に強くあり、忍耐や鍛錬することを尊ぶ心も失ってはいけない大切な要素のひとつだと思う。何も武道をすることだけが武士道精神を育む手段ではない。もちろん武士道精神や日本人らしさは日本人だけに与えられるものでは決してない。
 男女を問わず日本人より日本人らしい外国人は無数にいるだろう。真実へのヒントはあらゆるところに潜んでいる。どう生きるか。

 損得抜きにしてもっとみんなと本音で話したい。

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