小さな夢

投稿者: | 2020-12-23

 お知り合いの方が癌を患ったと知った。どんなに恐いだろうかと思う。進行具合によっては命の危険が迫る。来月にまた検査だそうだ。私は何もして差し上げられない。気丈に振る舞っていらっしゃる姿に敬意を抱く。明日死ぬとなったら、いったい私は何をするだろうか。


 現実に明日死ぬと分かってしまい今日をどう生きるかという問いと、明日死ぬかもしれないという設定で考えることとは別次元の話だ。もし明日死んだらと言われても現実味は感じられない。あくまでも仮定の話でどうしても余裕を持っての回答になってしまう。今の状況で死は遠い存在だ。でも精一杯想像力を働かせて考えると、やはり家族にお別れを言いたい、感謝を告げたい。これは大概の人はそうなんだろうと思う。さらに会いたい人に会ってお別れを告げたい。親しかった方やお世話になった方々に接したい。“人に会う”ということが一番に願うことだろう。けれどもこの問いのポイントはその“人”関連以外に何を望むかにあるのかなと思う。精一杯もう一度慎重に考えて、私はやはり「書く」と思う。


 20歳のときニューヨークを一人旅した。初めての海外旅行だった。オフブロードウェイで「オータム」というミュージカルを見た後、ニューヨーク大学の近くにあったレストランに入った。「レア」で肉を食べるのがカッコいいと思っていた当時の私はハンバーグを頼んでいたのに、ウェイターに焼き方を聞かれ咄嗟にレアでと答えてしまった。生みたいなハンバーグはまずかった。旅先でお腹を壊すんじゃないかと心配にもなった。青春の苦い思い出。端を見通せないほど大きな広いレストランでその時は満員だったと思う。その中でポツリと一人で食べていて、「こんなに大勢いろんな人種の人がいるのに、たった一人ととも腹を割って話すことはできないんだな」とふと悲しくなった。その時に言葉や肌の色の違いを超えて世界中の人々が共有できる媒体として大好きな「映画」を捉え直した。自分の思いや考え方、ものの捉え方・感じ方を映画の中に込めて世界中の人に観てもらおうと決意した。自分を伝える、表現するツールとして映画を創ろうと夢を定めた瞬間だった。


 映画とは随分違うが今私はこのブログというツールを手にした。もっと早く始めていれば良かったとは思えない。ようやく時が満ちたんだと感じている。これが今の私の自己表現方法だ。いつかこのブログを多くの人が目にする日がくればこの上ない幸せ。ここに書くことが私が生きた証しになると思う。そうなるようにこれからも心を開いて自分に正直に思っていることを素直に書き残したいと思う。無理をしたくない。絶対に「書かなければ、しなければならにこと」という義務にしたくない。無理をしなければ書けなくなるようだったらまた他のツールを探そう。あくまでもツールは手段・方法でしかなく、夢は伝えることだから。つまり一生懸命考えた結果、明日死ぬことが決まっても、今日一日私は夢を追い続けるんじゃないかという予想が立ったのだった。


 癌が軽く、治療できるものでありますように。

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