繋がる世界

投稿者: | 2021-01-01

 世界はバランスが取られていると思っていた。善と悪、光と闇、貧と富、白と黒、そして生と死。そのほか色々と一つの事象について相対するものが存在する。それぞれの関係で互いの均衡が崩れた時に軋みが生じ、良くないことが起きる。結果としてその良くないことが起きたことによってまた均衡が保たれるように修復がなされる。長い間そう考えていて、神さまを信じるようになった今でもある部分通用する考え方でもあると思っている。神さまがバランスを調整してくださっているかもしれないと考える時もある。


 気圧が高いところから低いところへ空気が流れて大気は安定しようとする。差別や憎悪が大きな塊となって争いがはじまり、多くの命を失い傷ついて平和の大切さに気付く。人が死に、新しい命が生まれる。何か良くないことが起きると改善され、平和が続いて安心していると必ず悲しいことが起きる。世界はこの歴史の繰り返しだ。人類は進歩しているのだろうか。進歩したところで人類が流れを変えることは不可能で、大きな力がこの繰り返しをコントロールしているように感じる。


 「進歩」とはどういう意味かを考える。「良くないこと」や「平和」の意味を深く考えてみる。私は人間で、日本人で、主に西側諸国で構成される資本主義社会の一員として育ち、知識や思想の獲得もそういった背景の中で培ってきた。だからまず私が偏ったものの見方をしている人間であることを認識しなければならない。真実を知るには、万物に精通する価値を見出すにはその立ち位置から抜け出さなければならない。そうしないと物事の本質には迫れないと思う。その上で、「進歩」とは人間社会を便利に豊かにするための技術革新の意味のみに限定されるのではないか。精神的な進歩は見当たらない。それが人間なのかもしれない。だとすれば人類の進歩は利潤追求を優先するあまり地球環境を破壊する方向に進んでしまっている。小さなことで言えば、熊が人間が住む地域まで餌を探しに下りてきている状況を、どれだけの人が自分たち人間が関係する問題として捉えられているだろうか。バランスを崩している。また私たちが言う「平和」を考えた時、異文化に育った人々の価値観をどれだけ考慮して議論できているだろうか。共に歩めているだろうか。自分たちの利益・平和が最優先になってはいないだろうか。それでは真の世界平和の実現は難しい。私が「良くない」と思っていることは異国の人には「希望の光」かもしれない。


 神さま、イエス様に出会う前、私はバランスは自然に取られるものだと思っていた。良いことの後には悪いことが起きて、あちらではダメでもこちらでは良くて、そのような繰り返しが永遠に続くのだと少し確信に近い感覚で考えていた。神さまと出会って、自分の使命に一日も早く気づきその道に尽くしたいと思っている。世界で何が起きているかを知ることはとても大切だが、その後のバランスが保たれるかどうかについては私の関与できる範疇ではないと気付いた。結末がどうなろうとそれは神さまにお委ねして、私は目を見開いて今日を精一杯生きることにする。


 正直、バランスについてよく分からなくなってきている。

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