花の都

投稿者: | 2021-01-02

 東京に馴染めなかった。第一志望の大学へ入ることができず、一年浪人して再挑戦しても不合格で、結局第6志望くらいの東京の私立大学へ入った。最初の住まいは六畳一間の風呂なしアパート。1階と2階に2部屋ずつ計4部屋ある建物が大家さんの家の庭の一部に建てられていた。その1階の一番出入り口に近い部屋が私の部屋だった。今でいうコインランドリーが併設されていた風呂屋は徒歩5分くらい離れたところにあった。夢にまで見たひとり暮らし生活が始まった。


 1年目は大学については一つも単位を落とすことなく無事に過ごし、何の面白みもなかったが無難には乗り切った。新しい友達はできず、たまに会っていたのは高校時代の友人ばかりだった。誰にも心を開くことができず、殻に閉じこもっていた。アルバイトなんて怖くてできなかった。東京に飲まれていたんだと思う。成人式は故郷に帰らず、アパートで一人でひっそりと電気もつけずに暗い部屋で、特に何もせずくら~い気持ちで過ごしたことを覚えている。お金がなく母が送ってくれたスパゲティを茹で、そばつゆで食べた。死ぬほどまずかった。何もできなかった。何もしないで何日も部屋のこたつの同じ場所にいたので、畳の目がそこだけ歪んで波を打っていたようになっていたのを覚えている。このままダメになっていくのかと半ば諦めかけていた。将来なんて暗すぎて何にも見えなかった。ただ時間だけが悪戯に過ぎ去っていった。


 誰も頼れる人がいない。全てを自分でやらなければならない。干渉されることから逃れたくて自分で望んだ一人暮らしなのに、全然楽しめない。一人じゃ何にもできない己の姿を突き付けられた。誰もが一度は通る道だと言えばそうなのかもしれないが、あんなに何もできなかった一年は後にも先にもない。自分でもショックだったんだと思う。生まれてから東京に出るまで、如何に自分が守られていたかを痛感した。言うなれば全ては与えられたものだった。高校時代、私は何をいきがっていたんだろう。


 振り返れば第一志望の大学に入れなかったことが尾を引いていて、「俺はこんなところにいるはずの人間じゃない」と、プライドが高く差別的な傾向にある私が陥りやすい幻覚に逃げ込み、責任を何かに押し付けて都合よく不貞腐れていたんだと思う。今だからそんな風に冷静に分析することができるが、当時はただただ暗く悲しみに暮れ、訳も分からず落ち込んでいた。でも今信じていることは、そんな時代があったからこそ今の自分がいられるということ。無駄なことは無いということ。神さまがそんな暗い時間を私にお与えになったということ。そしてそれにはきっと意味があること。大学2年目になる次の年から私の生活は人が違ったように一変していくわけだが、それはこの“失われた”一年があったからこそかもしれない。その変わり方が良い変わり方だったか悪かったかは別として。その話はまたの機会にしようと思う。


 その大学は恩師が卒業した大学だ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください