仕事を辞めたいと思っている女性の友人がいる。今朝なぜか彼女のことが寝起きに鮮明に頭に浮かんだ。相当悩んでいると容易に推測できる。お子さんがまだ小さく育児に追われながら、さらに仕事に忙殺される毎日を過ごす中で限界が来ているのかもしれない。そこへ来てこの春から昇格人事が決まったそうだ。一段と責任が増し、経験のない役目も果たさざるを得なくなる状況だ。プレッシャーを感じるなと言う方がおかしい。まさに正念場を迎えた。
彼女ほどの職歴と能力があれば転職はさほど難しくないのかもしれない。思い切ってその選択肢も考えてもいいだろう。しかし今の生き甲斐や仲間を離れて、別の職場を求めることは、収入のこともそうだし、異なるリスクを背負うことにもなる。かといって身体を壊したり、精神的に追い詰められるまで頑張ってしまえば、不幸な結果を招く恐れもある。何よりママに会えないお子さんが心配だ。難しい決断が迫られている。
以前に紹介した喜多川泰さんの「スタートライン」という本の中で「仕事(職業)」と「夢」の違いについて書かれている。「夢は○○になること」と言う風に多くの人が「職業=夢」と捉えている。しかし職業は夢を叶えるための手段でしかなく、例えば病気に苦しむ人を治したいという夢があれば、医者や看護師を目指すことはもちろん、製薬会社に入って薬の開発に携わるのもいいし、医療機器の営業で良い製品をブレイクさせたり、もしくは免疫を高めるために効果があるとされる「笑い」を広めるためにお笑い芸人になることだって充分夢を叶えられる手段の一つだ。つまり大切なのはどの職に就くかではなく、何を目指すかだ。目指す内容を「夢」と捉えるべきだと喜多川さんは述べていらっしゃると思う。
「仕事は夢を叶える手段でしかない」。もしそうであるなら、いくつになっても夢を見て、それに向かって生き続けることができる。夢とはそういう輝きを放った言葉であって欲しい。だがしかしその意味の「夢」を持たず、生活するためだけに就いた職業に従事している人たちはどうすればいいのだろう。実際そういうパターンの方が多いと思う。支えるべき家族がいて、返すべき家のローンがあって、仕事が忙しくて等々、人生には苦しいことの方が多いかもしれない。ぜひ喜多川さんに聞いてみたい質問の一つだ。私はその答えを持ち合わせていない。
だが予感として、やはり日々の命に感謝することからではないだろうか。新しい一日を与えられることがどれだけラッキーなことかと実感できれば、世界は一絞り明るくなると思う。仕事であろうとなかろうと、今まで自分が行ったことで喜んでくれた人は一人や二人ではないだろう。無駄なことなんて無かったはずだ。自尊心を高めて心の声に耳を澄ませばいつでも生まれ変われる。そう信じて祈るんだ。未だ見ぬ夢は人と人の間にきっとある。
どうするにしても神さまが共にいてくださるから大丈夫ですよ。