二つの躊躇を乗り越えて

投稿者: | 2021-01-19

 マイブームの喜多川泰さんの本で、「『福』に憑かれた男」という本を読んだ。その中で主人公が損得を顧みず、ある講演会を何かに導かれるように企画するが、思うように参加者を集めることができず開催を断念せざるを得なくなってしまう。ところが開催するはずだったその日に主人公のところへ一人二人と引き寄せられたかのように人が集まり、企画した形とはだいぶ異なった様式だったが“講演会もどき”が開催される運びになる。主人公は期せずして自分の理想を実現できたことに気付き、また人々の温かさに触れ感動し涙するという場面がある。

 50歳になる年に高校の同窓会を企画した。準備する仕事の大変さは予想できていたので覚悟はできていたし、妨げには全くならなかった。大変なことをみんなのために喜んで請け負いたかった。ただ、もしかして来たいと思っていても私が先頭に立つことで、私の名前が幹事として並ぶことで、翻意してしまう人がいるのではないかと恐れ躊躇した。しかし次は10年後になるかもしれないと思うと「今しかチャンスはない」と、意を決して立ち上がった。

 一人ではとっても大変だと思ったので数名に声を掛け、にわか“幹事団”を形成した。企画立案、上京し協力要請、名簿の入手、専用口座の開設、案内文と案内状の作成・送付、会場(一次会及び二次会)の下見・決定・打ち合わせ、参加数集計・会費管理、会場とのやりとり、思い出ムービー作成、等々をつつがなくこなし本番に備えた。当日は先生方を含めて50名を超える人数が集まってくれた。これは全体の4分の1以上の数になる。これが多いのか少ないのかは知らないが、今まで我が代の同窓会で集まった中では最高数だそうだ。50歳という区切りの数字にももちろん助けられたと思う。みんなの嬉しそうな楽しそうな顔、顔、顔が嬉しくて、これを書きながら思い出して少し涙ぐんでいる。かつてのみんなの写真を使って作ったスライドショームービーの上映が終わって私が挨拶に立った。その時にもらったみんなからの賞賛の歓声と拍手が、あの場面が、今もまさに鮮明にまぶたに浮かぶ。私はこの時のために今まで生きてきたのかもしれないと感じたことを覚えている。不安ばかりであんな場面が起きるなんて全く想像できなかった。まさに理想であり夢の空間が実現した。期せずして求めていたものだった。それは「恍惚感」という言葉が自分のものになった瞬間だった。

 無論私たちには一銭も儲からない仕事だった。大変なそして素晴らしい仕事だった。大勢が集まって心を一つにした瞬間の充実感はかけがえがない。本当にやって良かったと心から思った。この日の冒頭の挨拶で私は卒業してその時までに亡くなった同窓生の名前を読み上げた。初っ端から死んだ人の話ではせっかく楽しもうとみんなが集まっている雰囲気に水を差すのでは無いかと躊躇したが、どうしても亡くなった彼らのことをみんなに知って欲しかった。彼らにもその会に参加して欲しかった。私の呼びかけにきっと応えてあの場にいてくれたことだと思う。私は、私たちは、生きてあの場にたどり着けたことに感謝するべきだ。生きているだけでラッキーだ。あんなに幸せな空間を仲間と共有できたのだから。

 オレにも「福」が憑いてくれるかな?

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