見えない力

投稿者: | 2021-01-23

 「目に見えないものを信じる」。それは簡単ではない。霊感か何かを持っていて実際にお化けが見えたから信じるとか、そういう次元の話ではなく、見えないものに全てを委ねられるかどうかという私には究極の行為の話だ。「見えなければ確証が持てない」のが当然の心理だろう。けれども自分の弱さ、力のなさ、ちっぽけさ、いい加減さ、頼りなさ、等々を痛感し「生まれ変わりたい」と言っているくせに、そんな情けない人間(自分)の確証がないと信じられないとなると論理が矛盾する。頼ることができない人間の確証に頼るということだ。全く筋が通らない。もし他人の事だったらもう手の施しようがないと諦めるかもしれない。でもそんな無茶苦茶な矛盾した存在が人間であり、他ならぬ私なのだ。目に見えないものを信じたいと願いながらも、“見よう”としてしまう。そもそも自分が見たと思っている記憶だって本当は危ういのに。

 ドキッとするような瞳のアン・ハサウェイが主演の「パッセンジャーズ」という映画を昨晩の寝る前に観た。あまり私には馴染みのなかった結構カッコいいパトリック・ウィルソンという俳優が相手役で、二人の恋愛シーンは美しかった。この映画の内容については事前には全く知らなく、本当に初見だったのでワクワクしながら展開を追うことができ非常に楽しめた。スポーツ観戦は特にそうだが、何を観るにしても結果を知りながら観るのは嫌いだ。面白みは半減どころではない。ところでこの映画を観る前にたまたまマイブームの作家、喜多川泰さんの「きみが来た場所」を読み終わっていた。そちらが思いのほか早めに読み終わったので映画を観る時間ができたという方が正しい。いつもながら生きていくに当たって大変勇気づけられる、“歩み方”のヒントになる言葉にたくさん巡り合えた素晴らしい作品だった。もう一度読んで心に留まった箇所に付箋を貼ろうと思う。

 たまたま昨日、同じ日に出会ったこの映画と本の2作品。荒っぽいが2つ合わせて一言でまとめさせてもらうと、それぞれの主人公たちが「目に見えない大切な人に出会った」作品だった。途中様々な困難に巻き込まれ大変な思いもするが、最後はその人たちの存在に気づき導かれ、自分の行くべき道を見つけて歩み出すというストーリーだった。少し強引だがこの二つを私はそう捉えている。

 作品なので特に映画の方はビジュアル化しなければ映画として成立しないわけで、我々にも“見える”ように主人公の大切な人々(ゴースト)を表現してくれた。本の方もすでに亡くなっている人たちを登場させた。分かりやすいし、面白いし、感動もした。やはり目に見えることはしっかり認識できる。人間はやはり不確かなものを確認したがる生きものなんだと改めて思った。それを踏まえてどう生きるかが私に問われている。予感として、目に見えないものを信じようと頑張って努力するのではなく、自然とそうなっていくものなんじゃないかと思う。信心を深めていけば。

 偶然とはいえ、同じ日にこの二つに出会いますかねー。

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