一日一日

投稿者: | 2021-01-28

 中国に「毎日5年間日記をつけ続けると、その事実だけで“何か”を成し遂げたことになる」という言い伝えがあると聞いたことがある。何を成し遂げるのか定かではないが、とにかく大したもんだ!という事だと思う。思えば中学一年生の時に初めて日記に挑戦して以来、幾度となく挫折してきた。日記だけに限らず、何かを毎日続けるということは大変なことだ。それを「5年間」は気が遠くなる。今回このブログは思っていたより続けて書けている。正直自分でも少しびっくりしている。もちろん断トツでパーソナルレコードだ。自分の中で“何か”が変わってきている証しなのだろうか。

 英語で「something」というと私は何か凄いことのように感じる。例えば「He is something.」と聞けば、彼は才能があって優れた賜物を持っている人なんだと思う。「He shall achieve something.」とくれば、もはや恐れを抱くような感覚だ。直訳すれば「何か」というこの言葉は人生には答えがないことを暗に裏付けているのではないか。だれもそれが“何か”は分からなく答えに確証が持てないけれども、「“何か”がきっと待っている」、「“何か”凄いことが起こる」という、待ち望むような期待感がsomethingを使う時に込められているように感じる。分からないからsomethingを使って誤魔化しているとも言えるか。

 「答え(ゴール)がない」或いはあるのかもしれないが「答えはまだ果てしなく遠い」という状況の受け止め方は人によってそれぞれだ。「答えはすでに分かっている」と今手にあるものに揺るぎない確信を持って生きる人、「答えがあろうがなかろうが面倒くさい」とお構いなしに黙々と生きる人、「答えがないなら何のために生きるのか」と絶望する人、そして「答えがないから希望がある」と考える人。どれが正解かはもちろんない。何だか禅問答のようになってきたが、それぞれの捉え方、生き方があって当たり前だ。何かを強要するなんて誰にもできない。ただ自分とは正反対の考え方の人たちとでも話がしてみたい。その人を否定するんじゃなくて、考え方・感じ方、ものの見方を交流させてみたい。このブログがそんな場所を創る一助になればな~なんて夢を見ている。そうじゃないと今私に溜まっている答えらしきものが本物かどうか検討できない。自分を磨けない。非常に危険で対立の種になるようなことかもしれないけれど、本物を目指すなら避けては通れない道だと思っている。自分の深い部分でそういう場を強烈に求めている。

 書くことは不思議な作業と捉え始めている。さすがに今日はネタが無いな~なんて思って書き始めると、不思議とそれなりに指が動いてくる。まさに今日、今がそうだ。一応思いついたテーマをリストにして“取っ掛かり”だけ5つくらいはストックしてある。しかし今日、その内のどれかのテーマで書けるかどうかはまた別の問題だ。その日にはその日にしか書けないテーマが与えられているように感じている。いつも書き始めてみないと見つからない。読む人にはどうでもいい、あるいは理解できない表現があるかもしれない。でも恐れずに無理せず続けていきたい、な~。

 5年は長いよねー。

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