黄色い花の思い出

投稿者: | 2021-02-13

 カナダ時代、27か8歳の頃、映画監督になることを目指してカナダのトロントで生活していたが、もうお金も続かないしビザも切れるはでどうしようか岐路に立っていた。お先真っ暗だった。シェアハウスに住んだり日本人同士で住んだり2年半の間に3回引っ越して4か所に移り住んだ事実からも分かるように、人間関係に非常に苦労した。最後は独り暮らしだった。煙草も止めた。煙草代と食費を天秤にかけたら選択の余地はなかった。経済的にも極めて困窮した。体重は恐らく高校に入学以降一番軽かったと思う。祖母が仕送りしてくれなければとっくに野垂れ死んでいただろう。カッコつけて日本を飛び出してきたはいいが、結局は散々な結末を迎えようとしていた。

 考えに考えて一旦、映画監督は諦めようと決めた。とにかく働いてお金を稼がないと生きていけない。今考えると渡加した最初から日本料理レストランか何かで働きながら夢を目指せばよかったのかもしれないが、当時は変な意地があってできなかった。捨て身で生きるという覚悟がなかった。どこまでもカッコつけていた。カッコ悪かった。とにもかくにも日本に帰らずにカナダで移民申請をしてこちらで生きようと決心した。たとえ映画監督になれなくてもトロントで生きたいと思ったから。日系の弁護士を通じて移民になる申請をし、面接を待つという状況まで何とかこぎつけた。弁護士に払ったのは15万円くらいだったと思う。弁護士代としては安い方だが、その時の私にとっては清水の舞台から飛び降りる心持ちだった。

 カナダで生きていこうと心に決めて、ある日ふと街を歩いていた。今でも忘れない、トロントの市長公舎の近くに、パンジーか何かの黄色い花がプランターにずら~っと植えてあった。花を見て、綺麗だと思ったことはそれまでなかったと思う。小さな頃から30近くになるまでという意味だ。人間の手で間違いなく植えられた花々で、これが「森林に美しく輝く一輪の薔薇」等であれば頷けるのだが、都会の真ん中に毎年のように植えられる何の変哲もないパンジーに私は涙してしまった。世の中にはこんな美しいものがあるのかと感動してしまったのだ。こんなに身近にこんなに美しいものがあったのかと。私はそれまで何を見ていたのだろう。

 映画監督を諦めた瞬間に、よく日本のテレビドラマで観るように、一枚のガラスが頭の中で砕けたのが分かった。ガシャーンではなくパリンという感じの砕け方。それはもう当然、呆然としてしまった。単純に夢が破れた悲しさもあったし、それまで東京で一生懸命働いてお金を貯めてきた苦労や、カナダに来てからの奮闘も、全ては気泡に帰してしまったのだ。立っているのが精いっぱいだった。もう一方で、「希望」のような前向きなものは全く見い出せなかったが、肩の荷が下りて軽くなったような気がしたのを覚えている。ホッとしたというか、あの時市長公舎で黄色いパンジーを見た時、私は人生で大きな目標を失い、一つの時代との別れを悟ったんだと思う。

 花があるっていいよね。

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