一昨日言及した吉野源三郎さん著の「君たちはどう生きるか」について今日も少し考えてみたい。実は昨晩、二回目を読了した。いつものように二回目を読みながら心に残った箇所に付箋を貼ってある。その中で、「人間は日常のすでにあるものになかなか感謝できない。肉体的には病気になったり怪我をした時に健康のありがたさに気づくものだ。」という意味合いの記述があった。同様に精神的にも「悲しみや辛い思いをした時に、どうしてそれほど心が動くのかを考え、自分が本来あるべき姿、するべき行動を認識することができる」とある。つまり「辛い、悲しい、苦しい」等と心が叫ぶときは、自分が或いは社会が不調な証拠だということだ。また吉野さんは「人間誰しも過ちを犯す。苦しいけれどそれを認め、その中から新たな自信を汲みだしていこう」ともおっしゃっている。
私はイエス・キリストとその神さまを信じていて、こういった「人生をどう生きるべきか」という問いには毎日のように向かっている。そういう問題をテーマにした本を読んだり講演などを聞く場面が多いわけだが、その多くは非常に納得でき頷ける内容だ。同じような結論をそれぞれの方たちが色んな角度からのアプローチによってまとめ上げていく。登ろうとする山は同じで、一人一人が違う場所から異なるルートで頂上を目指しているイメージと言えば分かりやすいだろうか。その山を毎日のように何度も何度も登るわけだ。「君たちはどう生きるか」についても似た印象を持っている。おぼろげに分かっているようなつもりになっていることを明確な言葉で目に見える形にしてもらえることに感謝したい。ただ私が思うに、吉野さんの「本来あるべき姿」の幅は限定的で、また失敗した人間に対しての接し方が多少厳しめだなと感じている。朝から付箋の箇所を何度も読み返しながらこれを書いている。読んでいて勇気が湧いてくる嬉しい本だ。
この本を知ったきっかけは、実はマイブームの作家「喜多川泰」さんの影響からだ。喜多川さん著の「上京物語」という本の最後にお勧めの本が紹介されている。主人公が大学へ進学する際に「父から息子へ贈る本」という体裁で列記され、ご自分で書かれた本も4冊入っている。全16タイトル25冊のうちの5番目がこの「君たちはどう生きるか」だ。この25冊はどうしても読みたくて、中古品しかなかったものも含めて全部用意した。ところが、類は友を呼ぶでもなかろうが、本は本を呼ぶのである。例えば「君たちはどう生きるか」では文中にゲーテやナポレオンの伝記、「日本少国民文庫」等が暗に推薦されていて、またオグ・マンディーノ著の「この世で一番の奇跡」では聞いたことがない人の伝記などがたくさん紹介され、枚挙にいとまがない。まだまだ6タイトル目を読み終えたばかりで、この調子だと“紹介連鎖本”の合計は想像もつかない。全部読破するのはちょっと厳しいと思う。が、惹かれている自分がいる。
喜多川さんが言った、「人生を変えてくれるような本との出会いを何度も繰り返してきた」。ある意味では私の人生はもう変えられてしまっている。こんなに読書に心を捕らわれることがあるなんて夢にも思わなかった。でも喜多川さんがおっしゃっている意味はまた一段上の領域の話なんだと思う。心が捕らわれるべきは読書ではなく「使命」だ。それに出会えるか、気づけるか。しばらくは読み続けようと思う。
人間の「本来」って何だろう?