緊張と緩和

投稿者: | 2021-02-23

 「いまさら何を言っているのか!?」とお叱りの言葉が聞こえてきそうな話。昨晩私のアイドル、ダウンタウンの松本さんの、録画しておいたテレビ番組を2本観た。一人で観ていて本当に面白くて、何度か声を出して笑っていた。私は心底この人が好きなんだと思う。

 それで、2時間ほど観終わってふと気づいた。「この2時間、何も考えていなかった」と。テレビから流れてくる音と映像を受け止めて笑ったり嫌悪感を持ったりしたわけだが、「受け」てばかりで、自分で何か想像したり検討したりといった能動的な行為は何もしなかった。何十年もテレビや映画を観てきているのに、今さらながら少々驚いた。ものに依っては観ながらストーリー展開や“誰が犯人か”を予想したり、観終わって様々な感想を持つことは結構あるし、感銘を受けることももちろんある。しかし基本的に耳や目から入ってくる刺激に対しての受け身的な反応で、どんどん流れていく時間の中でその刺激から思いや考えを巡らせる余裕はなかなか持てない。良い映画は後からじわじわ染みてくるものが多いような気がする。いずれにしても受け身であることが大半だ。

 以前にも書いたが私にとって本を読むことは、書かれている内容に自分を投影し追体験することで自分の経験にする行為だ。これは本当の自分と向かい合い続けることに他ならない。可能な限りの想像力と強い意志を用いて考え続けることだ。極めて能動的な行為として捉えている。「考え続ける」、それは決して楽な作業ではない。結局私は「考える」ことからずうーっと逃げてきたんだ。自分と向き合うことを避けてきた。楽な方楽な方へ逃げ隠れて、一番大切な行うべき能動的な作業をやり過ごしてきた。それを昨日松本さんが私に楽しい時間を与えてくれたことによって教えてくれた。ああ、何という長い時間を逃げることに使っていたことか。

 リラックスする必要性を肯定はしても否定することはない。力を抜くからこそ次に力を入れられるのであって、ずっとアクセルを踏みっぱなしでは壊れてしまう。考えない時があっても全然いい。バランスの問題というか、とにかく逃げっぱなしでは余りにももったいない。「いつも考えているからこそ、抜く時があっていい」くらいが理想的か。最近はサッカー中継を含めてテレビを観ることがメッキリ減って、俄然読書に費やす時間が増えてきた。いわゆる「おっさん」らしくなってきたということなのだろうか?世の中のおっさんたちの私生活を覗いてみたい気がしてきた。なんか「最近テレビ観てる?」みたいなことは同級生には聞き難いし。ここに書くことも実はちょっと恥ずかしい。「50過ぎてもそんなにテレビばっかり観ていたの?」とからかわれそうで少し怖くもある。いろいろ単純なことにようやく気づき始めた53歳に、根拠のない希望の春が近づいて来ている。

 松ちゃんの番組は観続けます。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください