涼風

投稿者: | 2021-03-02

 ゼロから何かを創り出すことはとても大変だ。「大変だからこそやりがいを持てるし、人生をかける価値を見い出せる」という人がいる。すごい意欲の強さだと思う。芸術家や科学者の方たちはこういう感じの人が多いのだろうか。ビジネスでも政治でも、たいていは既存のベースの上に立って、身につけた技術や知識を駆使しながら新しいアイデアを生み出し、活用・応用していくのがパターンだと思う。だから礎となる「ベース」を創った各界の先駆者たちは本当に凄いと思う。この瞬間にもゼロから新しいベース・基準を生み出そうと努力している人がいるのだろう。もっともご本人たちは、よく見るノーベル科学賞受賞者のインタビューのように、「自分の好きなことをしているだけ」と涼しい顔をしているのかもしれないが。

 「どうしてそんなに夢中になれるのか?」と周りの人から思われるほど、あるいは「あんなに根詰めてやったら身体に障る」と心配されるほど、一心に尽くせる事物が『使命』だと思っている。それはやらずにはいられない物であり、やらないと絶望してしまうような事なんだと思う。誰かに“やれ”と強要された物ではなく、真に「やりたい事」なんだろう。それを私は『使命』と呼ぶ。そしてそれを見つける過程が「自分探しの旅」だ。

 使命に出会った人、目覚めた人に悲壮感は漂わないだろう。どんなに忙しくても、眠っていなくても、疲れていても、その人の周りには穏やかなそよ風がふんわり流れているイメージがある。喜びに満ちた優しい微笑が見えるようだ。恐らくそれは、その人の人種や性別、容姿、年齢などに関係なく、感動的な表情のはずだ。そしてその「やっている内容」は誰かが評価できるものではない。乱暴な言い方をすれば、その人が真に「使命」と信じられるものなら、何でもいいんだと思う。一人一人に神さまがいらっしゃるように、与えられる使命もそれぞれ違うのだろう。私が見て無意味と思えることが、実は御心かもしれない。自分の判断を過信しないことには常に留意したい。私が信じるのは、「それが使命ならば、それぞれの行く道がきっと平和に繋がっている」ということ。

 今日を一生懸命に誠実に生きることが、すなわち自分探しの旅だと思っている。そして今その私を支え、力づけてくれているものがこのブログである。書くことは今私にとって一番「やりたい事」だ。これが「使命」なのかどうかは全然分からない。しかし書かずにはいられない自分がいる。ネタが全くなく困る時は多いし、そりぁ疲れている時もある。しかし、ただ書きたいのだ。書かなかったことを想像すると気分が悪くなる。「文字」という既存のベースの上に立って、身につけた技術と経験を駆使しながら新しいアイデアを生み出し、活用・応用している。もしかしたら実際に書いている時は、苦悶の表情を浮かべているかもしれない。“穏やかなそよ風”とは言わないが、でも私の心の情景はその見た目ほどに荒れてはいない。

「文字」に感謝。

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