最近の若ぇもんは!

投稿者: | 2021-03-06

 忙しくなってきた。ずっとコンピュータに向かっていて、気が付いたら朝の5時をまわっていた。久しぶりのほぼ徹夜だったけど、今日は土曜日でお休みだったので10時までぐっすり。これでは昨晩、頑張った意味が薄れてしまうか……。抜けない疲れを覚えながらも、やりがいのある仕事、やりたい仕事に巡り合えてとても嬉しい。自分が喜んでいるのが分かる。でもまぁ将来へ向けての投資みたいな仕事なので、もしかしたら一銭も儲からない可能性が高い。その時点でもう「仕事」とは呼べないかもしれない。ただ「それでもいいや」と思いながら頑張れることは幸せだ。

 そうなってくると、本を読む時間が減ってきている。今週はほとんど読めなかった。仕方がないし、そういう期間はこれからもあるだろう。少し寂しいがここは辛抱だ。今まであまり本を読んでこなかった分際で躊躇を覚えるが、最近の子供たちはYouTubeばかり観ているそうだ。YouTubeではちょっとしたノウハウがあれば、誰でも撮影・編集したムービーをインターネット上に無料で公開でき、世界中に発信できる。つまり誰もが自分の番組を持てるわけだ。それをたくさんの人たちに観てもらえるかどうかは、またちょっと次元が違う話かもしれないが、とにかく自分の好きなように、シナリオも演出も編集も自由にできる。すごい時代になったものだと思う。種々雑多な番組がそこに山積みにされ、多くの人が視聴しているそうだ。テレビを観る人が減り視聴者がYouTubeに流れていったために、今までテレビ業界につぎ込まれていた企業の宣伝費も、自然とそちらに流れ込んでいった。

 今や「若者の情報発信はYouTubeから」とまで言われるようになった。「宣伝」に携わる人間として、もう無視はできない。正直、「クオリティーなんて気にせず、楽しければいいじゃん」という“ノリ”が嫌いで、YouTuberがそういう人ばかりではないとは分かっていても、YouTubeに参加すること自体から今まで距離を取っていた。「『何でもいいからアップしちまえ!数打ちゃ当たる!!』みたいな人と、自分は違うんだ」というプライドも邪魔している。でも私が携わる作品は、私にとっては自分の生きている証みたいなもので、愛情を抱いている。全部が全部ではない。創る過程でお客様とのことやスタッフ内でも色々あるので、全作品を愛しているとは言わない。愛と憎しみは背中合わせだ。ただそれだけ心を傾けて、真剣に創ってはじめて“作品”になり、世に出せるものだと思っている。

 少し前にも書いたが、テレビ等(もちろんYouTubeも含めて)を観るのは、音や映像の刺激を受け続ける、受動的な行為だと思う。番組内容や演出によって当然差があることを踏まえて、比較的頭を使わない行為というか、楽な作業というか。これに対して本を読むことはとても能動的な作業だと思っている。読んでいて頻繁に寝落ちしてしまうほどに、脳を働かせて負荷をかける。そういう意味では辛い作業かもしれない。子供に限らず誰でも辛いのは嫌だろう。「死ぬほどテレビを観ていたおまえが、偉そうなことを言うな!」と言われれば、「はい、すみませんでした」と退散せざるを得ない。だがしかし、恥を承知でおっさんは子供たちに言いたい、「本を読もう!」

 テレビ業界はかなり大変らしい。

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