20歳か21歳くらいの時、ボストンとニューヨークを一人旅をした。今考えれば、ずいぶん思い切ったものだと思う。アメリカの西海岸を友人と一緒に周り、ロサンゼルス空港で彼と別れて単身ボストンに入った。
ボストンでは、レフト側の外野にそびえ立つ壁、「グリーンモンスター」で有名なセーフコ・フィールドを訪れ、メジャーリーグを生で初めて観戦し感激したのを覚えている。キューバから来たホセ・カンセコという選手が放った、糸を引くような、グリーンモンスターを際どく超えていく弾丸ライナーホームランを目の当たりにした。その夜は観客はまばらで、「アイスクリーム!アイスクリーム!!」と、怒ったように叫びながら売り歩くお兄ちゃんの声が響きわたり、ちょっと恐かった。客席の木製のイスは座面を上げてたためるタイプの物で、試合でボストンのチャンスになると、誰かしらが座面を「下、下、上。下、下、上。」とリズム良く乱暴に上げ下げし、クィーンの♪We Will Rock Youを奏でていた。それが球場全体に広がって、ビジターチームを威圧するようなもの凄い雰囲気を作り上げていた。
また街でタクシーを拾ったとき、反対車線の交通量が多くてなかなか左折(日本では右折)が出来ないでいた。するとその運転手は少しずつ車の先端を反対車線に突き出し始めて反対から来る車を無理やり停車させ、左折してしまうという、ちょっと日本では考えられないような強引な運転マナーを体験した。何もかもが新鮮で刺激的だった。
ボストンからバスでニューヨークに入った。そんなに長い時間ではなかったと思う。ニューヨークの恐い噂は色々当然知っていたので、それなりに緊張していた。私の荷物は大きなスーツケース一つ。それをガラガラと転がして歩いていた。端から見れば、世間知らずのひよっこアジア人が“食べてください”と言わんばかりに、ピヨピヨと彷徨っているように映ったことだろう。
バスが到着して、予約していたホテルまで徒歩で行こうとしていると、とても当たりの優しい黒人のお兄ちゃんがスッと寄ってきた。「どこへ行くんだ?」みたいな事だったと思う。二人で歩き出し、荷物の面倒を見てくれたり、色々話をして「ニューヨークで一番恐い場所はどこ?」みたいな質問にも答えてくれたりして、私は彼をすっかり信用してしまった。恐らく30分くらい二人で歩いて、終始笑顔で良い雰囲気の中会話し、ニューヨークでの最初に楽しい時間を過ごさせてもらった。
ようやくホテル前に到着し、しかし突然彼の態度が急変した。急に真面目な表情を作って「2 hundred dollars , sir !」と直立不動で言い放った。チップくらいは渡さなければならないと薄々思ってはいたが、「2、2万円以上じゃん!?」。30年以上前の話である。「高すぎるよ」と言って交渉したが聞き入れてもらえず、騙されたと気づいてだんだん恐くなってもいき、結局払ってしまった。
その後すぐに、実はバスターミナルから怪しいと思って私たちをずっと尾行してくれていた二人の私服警官が、立ち去ろうとしていた彼を取り押さえてくれた。パトカーではない警察の車に乗って警察署まで行った。私はスーツケースと一緒に後部座席に座り、黒人の彼は助手席に座っていた。あまりに近く、恐くて「何で犯人と同じ車なの??」と文句を言いたかったが、飲み込んだ。
警察署で聴取を受け、パスポートや彼に渡したお金のコピーなどを取られた。ビデオなどを見て、ニューヨークを旅するときの注意事項を学んでこなかったのかと少し怒られた。そして要注意人物の顔写真がまとめられているファイルを見せられ、その黒人の彼がいるかどうか、机上での“面通し”を行った。いた!間違いない。彼は常習犯だった。報復が心配だったのでその後のことを訪ねたが、私の滞在中は牢屋からは出て来られないと分かり安堵した。
全て終わって車でホテルまで送ってもらい、警官にお礼を言いながら、本当に思わず私の口から出た言葉があった。「This is New York.」。「Yeah」と警官が返してくれた。そして「何かあったら電話しろ」とカードをくれた。まるで映画の1シーンのよう、、、とは言い過ぎか。前途多難なニューヨーク旅を予感させる初めの一歩だった。
今でも黒人の彼の名前は忘れなれない。