いつも喜んでいなさい

投稿者: | 2021-03-16

 夜1時2時までコンピュータのモニターとにらめっこしながら作業に集中し、明日に差し支えるから寝ようと思って目を閉じても、当然のように目が冴えて眠れない。何とか眠り、朝起きたら起きたで疲れを感じている。挙げ句に昼間ウトウトしてしまうという悪循環に陥る。一時ならまだしも、これが長く続くといろいろ心身に歪みが生じてくる。気をつけないと。一度おかしくなってしまうと、回復するのにまた時間がかかってしまう。当たり前の行動がやはり難しい。ただ時間を忘れて集中できることがある事には感謝している。

 先週は非常に仕事がうまく運んだ。複数の結構大変な作業を、段取りよく次々とスムーズにこなすことができ、予想外に短い時間で仕上がった。日曜日には少し時間に余裕ができたほどで、努力が報われた思いがして素直に嬉しかった。しかし貧乏性というのだろうか、そんなうまくいって喜んだ直後には、必ずといっていいほど、得体の知れない不安に襲われる。私は何を恐れているんだろう。
 安心してしまうと心に隙ができてしまうような気がする。油断すると何かがその隙間から入り込んできそうな恐さがある。何かに取って代わられてしまうような。だからどんないいことがあっても手放しで喜べない感じだ。こう書くと、私がいつもコンピュータのように緻密で、正確無比な“間違わない男”のように思われるかもしれないが、実際は割りとヘマの多い人間だと思う。そういう意味ではなくて、「心の状態が激しく上下動をしてしまうと、帰る場所・いつもの場所を見失ってしまうような不安を感じる」、と言ったら伝わるだろうか。我ながら安定さを欠いている気がする。いつ頃からこうなったか覚えていない。

 この一瞬は二度とやって来ない。次の一瞬一瞬は誰も経験したことがない未知の世界だ。何が起こるかは誰にも分からない。私たちを取り巻く全ての事物は、絶えず変化し続けている。私も進化か老化か退化か分からないが、変化し続けている。そういう時の流れの中で、いつも自分らしくありたいと思う。絶望し、悔い、また立ち上がりながら、それでも恐れずに次の瞬間を自然体で受け入れ生きていきたい。
 喜びや嬉しさを感じることは人生の醍醐味だと思う。快感を覚え、その成功体験がさらに次への活力を生み出すことは大いにある。一方でネガティブと言われる経験も、人間を支える必要不可欠な要素だ。そしてまた次の瞬間に、ポジティブもネガティブもひっくるめた「新たな経験」を加え、人は変化していく。そういう流れの中で、常に自分を見失わないでいたい。取って代わられたくない。
 だがしかし「取って代わられたくない」と言っている割りに、毎日のお祈りでは「神さま、私をあなたの僕(しもべ)にしてください」と必ず祈っている。自分の中で釈然としない矛盾を感じている。

 一時の気持ちの変化に動揺する気持ちも分からないではない。ちょっとうまくいったからと言って、得意げに自信過剰になるのも嫌だ。少しずつ自分が変わってきていて、新しい自分が、新しい感情に対して、享受の仕方を戸惑いながら学んでいる節がある。何か他人事のように書いているが、本当に他人事のような感じもある。心の底にあるものは制御が難しい。不安の訪れを嫌って、成功を自ら阻止するようにならなければいいのだが……。

 2年に一度くらいは、割りと大きめのポカをします。

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