Communication

投稿者: | 2021-03-17

 企業や学校、或いは商品PRのための「ビデオ」を制作するのが主な私の仕事だ。そこから派生してホームページやパンフレット、チラシ等、色々な広告媒体の制作にまで営業範囲を広げている。
 一つの仕事を頂いたときに、予算や納期等を総合的に鑑みて、自分がどう立ち回ったらいいかを考える。予算がなければ、企画から撮影から編集からデザインから、全部一人でやらなければならない。お金に余裕があって時間がない場合は、ギャラが高いけどものすごく仕事が速い人にお願いしたり、人数をかけて対応したりする。
 たいていは、この仕事だったらシナリオはあの人で、カメラマンを彼にして、編集はこのディレクターに任せて……、などと仕事の性質によってスタッフを集めチームを組む。そのチームとお客様の間に私が立って、制作進行を管理・遂行する。これがモデル的なケースだ。

 デザインや編集の仕方の好みは人それぞれだ。しっかりした企業や学校ほど、大人数のコンセンサスが取れた上での審査でないとOKが出ない。たとえ社長様一人がOKでも不十分なことが多い。
 不正解はたくさんある。誤字があったり、ナレーションの言い間違いがあったなんてことは当然NGだ。分かりにくい「イメージが違う」とか「らしくない」と言われてしまう場合も不正解。ご希望に添えるようなものに修正し、私たち制作者側の思いや感覚をクライアント側のそれとすり合わせていく。
 問題はこれからで、そうやって様々な要素が磨かれ作品が“正解”の領域に入ってくると、それから先は“好み”の問題になってくる。極端な言い方をすれば、「どれでもOK」になってくる。「どれが正解か分からなくなってくる」と言い換えてもいい。そんな“正解がない”領域に入ってくると、“いい意味”で諦めないと永遠に終わらない。
 ものを作ると言うことは、突き詰めようとすればするほど、行く先のキリが見えないものだ。真剣に取り組むほど正解が分からなくなってくる。ものつくりは楽しいし、生き甲斐を感じられるので、できることならとことん取り組みたい場合が多いけれども、ビジネスとしてはそれでは成り立たない。お客様も我々もどこかで諦めなければならない。そこまで作品が仕上げられれば、最後に「諦める」責任を取ってくださるのは、いつも社長様なりのトップの方だ。

 そういう仕事をしていく中で、カッコ良く言えば、私が務める「プロデューサー」の役割は非常に大きい。具体的に何をしているかといえば、『人とのコミュニケーション』だ。お得意様の太鼓持ちをしているという意味ではない。クライアントだけでなく、私のスタッフに対してもコミュニケーションをうまく取って立ち回らないと、品質の良い作品が上がっていかない。これができないと次の仕事がいただけないし、私のためにも頑張ってくれているスタッフが離れていってしまう。それはビジネス的にもそうだし、人としてとても悲しい事だ。

 それを実現するには、身内に対しても言い難いことも言うということだ。仕事をもうもらえないかもしれない、お客様の気分を害させるかもしれない、危険性のある言葉を放つということだ。そんな危険を冒して、本当に仕事を失ったり、その人との関係がそれきりになってしまう場合も確かにあった。悲しい思い出だ。でももしお互いに立場や考え方を理解し合えて、違いや困難を共に乗り越えられたなら、きっと素晴らしい関係で結ばれることを信じている。
 どんな業界でも他者と接する仕事が一番難しいと思う。「営業の人」という表現が分かりやすいだろうか。営業は「人を好きな人」でないと、なかなか務まらないのではないか。騙すような営業の仕方は長くは続かないと思う。そして自分が人間としてどうかと品定めされる。そこで試験をパスしないと受け入れてもらえない。内からも外からも。

 「仲良し“だけ”のグループ」は要らない。

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