第一印象

投稿者: | 2021-03-28

 誰かが言った。「新しい世界に入ろうとする時、友達ができるかどうか煩うより、自分が他人に何をしてあげられるかを考えなさい」。いつも新しい出会いに満ちている春だが、「新しい」という状況下では、不安を覚える人の方が多いのではないか。そんな人たちにとって上記の言葉は、勇気が出るヒントに大いになり得る方法だと思う。

 私も人見知りは激しいし、これは確証のない感覚なのだが、どうも私は話しかけにくい雰囲気を持った人間のような気がする。目つきや表情なのか、態度なのか、体つきや服装なのか分からないが、何となく近寄りにくいオーラを出してしまっているように思っている。そんなこと全然ないのに。気難しいおっさんに見えるのだろう。残念だ。

 選択の余地があまりなくスキンヘッドにしていることが、近寄りにくさを助長しているとは思う。ある夏の日差しが強い日にお葬式があった。到着してサングラスをかけたまま車から降りると、友人の女性から「ガラが悪い」と注意された。私にしてみればガラが悪いも何も、眩しい日に喪服を着て参列しただけだ。しかし世間は私の事情を慮ってくれはしない。一見でバッサリと切り捨てられてしまう。禿げを隠すのが嫌で、帽子を被るのをあまり好まないことも印象を悪くしている一因かもしれない。残念だ。

 性格も災いしている。私は何かと物事を深く考えがちだ。考えていると自然と真剣な表情になってしまうし、深みにハマるほど眉間にしわが寄る。普段あまり鏡を見ない私も、最近の眉間のしわの深さにはさすがに退いてしまっている。“深み”が“深さ”を増していることは、シャレにならない真剣な悩みだ。益々人が寄り付かなくなっていく。「しわを消したい」と眉間を執拗にマッサージしてみるが、そんなに簡単に解消されれば、世の化粧品はこれほど売れない。残念だ。

 残念なことは容姿の問題だけではない。考えてみると私は残念だらけだ。しかし、と同時に多分みんな似たり寄ったりだとも思うようになった。あの人は私よりちょっと優しくて、でも私はあの人より早く走ることができて。私はこの人より少し頭の回転が早くて、でもこの人は私よりずっと愛情に溢れている。みんな違って当たり前だし、この違いも時と場合によっては逆転したり変化したりするだろう。比べること自体が主観的で無意味だ。みんな違ってみんないい。

 口角を上げると良いそうだ。そんな残念な私でも口角は何とか上げることができる。そうすれば相手に与える印象が良くなるかもしれない。優しそうに見えるかもしれない。だとしたらもっと人が話しかけてくれるかもしれない。やってみる価値はありそうだ、いつまでも眉間を撫でているよりは。

 どうせみんな似たり寄ったりなんだ、警戒する必要はないよ。

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