a woman

投稿者: | 2021-05-20

 一目惚れだった。トロントの合気道道場で知り合った彼女はモントリオール出身のイタリア系カナダ人で、すなわちフランス語とイタリア語と英語を操る快活な女性だった。26から28歳頃の話。大きな瞳をしたとても包容力のある美人で、英語がままならない私にも非常に親切にしてくれた。彼女の親切心を今思えば私が思い違いをしていたんだと思う。彼女は指圧も学んでいて、日本の文化に少なからず興味を持っていた。私の話す日本語も一つ興味の対象だったのかもしれない。

 彼女はカナダ人らしい、リベラルな考え方というか、富や権力を敵に回し真実に生きるような勇敢な人だった。女性に対する社会の不平等な扱いに、口をとがらせて異を唱えていたのが印象に残っている。自然環境を破壊するようなニュースにも、顔を真っ赤にして怒っているタイプの人。「頼れる姉御肌」と言えば分かりやすいだろうか。その表現力の豊かさと美しさは、道場の誰もが一目置いていたと思う。ただちょっとやはり気が強かった。ダメなものはダメという感じだったので、知り合い方を少し間違えると、近寄りがたくなってしまった人がいたかもしれない。私は気が強い女性はちょっと好きなのかも。
 イタリア式の挨拶のキスというか、頬と頬を合わせる感じの儀式を教えてくれた。右・左・右と3回頬を交互に合わせるのだ。実際は照れもあり、頬を合わせるのではなく、お互い顔を入れ替えて3回ギュッと抱擁する感じだった。たまらんかった。

 仲は良かったんだと思う。合気道の仲間たちと食事に出かけたりすると、いつも私は彼女の近くにくっ付いていた。少なくとも同じグループの中にはいた。ある時二人でお茶か何かしていた時に、「結婚しようか」と言われた。最初何のことか理解できなかった。私はその当時カナダに定住を考えていて、弁護士に相談するなど色々動いていたのだが、移民申請が思うようにうまく進んでいなかった。彼女はそれを知っていて、「偽装結婚してあげようか」と提案してくれたのだ。
 カナダ人と婚姻関係を結べば、それはもう相当有利に働く。形式的に籍だけ入れて申請をし、移民権を取得できたら離婚するという手法だ。実際そういう仲介商売もあった。まぁ、嘘も方便と言ったところだろうか。通るか通らないかはやってみなければ分からないが、バレなければ最有力級の手段ではある。
 惚れていなかったら、その時お願いしていたかもしれない。しかし私のせいで彼女の戸籍を汚すことはできないと思った。何と日本人的な考え方だろう。彼女を利用するような事をしたくなかった。「結婚するなら、ほんとに結婚して」と言って、ありがたくお断りした。ちゃんとした仕事も決まっていない上に、カナダに留まれるかどうかも分からない状態で、“ほんと”の結婚を申し込むことはできなかった。それでよかったんだ。

 大好きだったNFLアメリカン・フットボールの決勝戦、スーパーボウルの生中継をモニターで観戦できるバーへ二人で飲みに行った。スーパーボウルは誘う口実でしかなく、私がまたカナダへ帰ってくるために一度便宜的に日本へ帰る予定で、その前に一度会いたかったからだ。何故そうなったか原因を全然覚えていないのだが、そこでちょっと激し目の口喧嘩になり、彼女は私を無視してカウンターの私と反対側の知らない人と話し始めてしまった。言い争う中で、それまで彼女は“義理”で私と会ったくれていたことが判明し、言ってみれば“フラれた”ことに気づかされ、平静を装いながらも酷くせつなかったことを覚えている。非常に険悪なムードになって、その日はそのまま分かれ、取り繕えないまま私は日本へ帰ってきてしまった。
 そしてまた1週間後にカナダに戻るも、入管でひっかかり事実上の強制送還されてしまい、結果あれが彼女に会った最後の夜になった。
 今はFacebookで繋がっていて、たまに彼女の幸せそうな様子を垣間見ることができる。相変わらずの美しさが懐かしい。あの頃の合気道の仲間の一人と結婚したそうだ。

 私は英語がなかなかうまくならなくて苦労し、今ではもうほとんど使わないから、それこそ錆びついてしまっていると思う。でも「Can you speak English ?」と聞かれたら、「a little」と答えるのも芸がないので、「Enough to fall in love with a Canadian girl.」と答えるようにしている。

 あの時もしお願いしていたら、どうなってたかな~?

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください