Pay it forward

投稿者: | 2021-06-06

 お世話になった方々へ恩返しようとするときに、何をするか。例えば今年お世話になった方なら、お中元やお歳暮を贈るなど直接お礼ができる。そうではなくて、もう亡くなってしまった方とか、かつてお世話になってもうどこに住んでいらっしゃるか分からない方とか、事情があってもう会うことが許されない方とかへ、何ができるだろうか。

 あの時あんなことがあった、こんなことがあった等と昔のことを思い出すとき、必ず誰かがいた。反対にその人を思い出すことで出来事が思い出されるパターンもある。記憶は他者と共にあると言ってもいい。思い出す度に私は自分の至らなさを痛感することが多い。「なぜあの時、あんなことをしてしまった、言ってしまったんだろう」、「あの人にとても迷惑をかけてしまった」、「どうして手を差し伸べなかったんだろう」等々。何故か反省する思い出の方がよく思い出される。そんなものかもしれない。

 そんな風に考えていると、私は今までどれだけ多くの人に関わってもらって、お世話になって来たのかと思い、恐ろしくなってくる。お中元を配りきれるような人数ではない。しかし性格的にはやはり少しでも皆さんに恩返ししたいのだが、手段がなく途方に暮れてしまう。何をしたら恩返しになるのか。
 結論を言えば、いつもと同じ結論、「一日一日を誠実に生きる」事だと思う。自分の信じる誠実を全うすること。しっかり人の間で生きて、誠実に接すること。すなわちそれは「恩送り」になるかと思う。受けた恩は今周りで関わってくれる人たちに送ればいい。そうすることがお世話になった皆さんに一番喜んでもらえることだと思う。倍返しなんて考えなくていい。できる範囲で、でも一生懸命送ればいい。そんな結論ではダメだろうか。

 酷いことをしてきたなと思う。刑務所に入れられるような類いはないが、心を傷つけてしまったり、迷惑を顧みないようなことはしてしまった。その時々で周りの方々に本当によく許してもらったと思う。ほとほと情けないが、それが私の真実であり、残りの人生の中で背負っていかなければならない事実だ。自分の不誠実さを嘆きつつ、しかし心は「感謝」の気持ちで満たされる。目頭が熱くなるほどに幸福感でいっぱいになる。自分の敗れと弱さを強く意識するほどに、それでも赦されて生きていられることに感謝する。
 私が罪深いのは、これからも間違いなく、間違いを犯し続けるということ。生きている限り、バカは治らない。悔い改めても悔い改めても間違いが必ず追っかけてくる。積極的に生きようとすればするほど、その危険性は高くなる。覚悟しなければならない。また酷いことをしてしまうリスクを負わなければならない。それでも恐れずに自分に誠実に生きていけるか。恩返しし続けられるのか。これから犯す罪の重さに耐えられるのか。傷つく自分を支え切れるか。そして何があっても神さまが救ってくださると信じ切れるか。そういう「覚悟」を持ち続けられるかどうか、それが自分がなりたい人間になれるかどうかの分かれ道かなと思う。

 重いな~。書き始めはそんなつもりじゃなかったのに……。

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