たしなむ程度で

投稿者: | 2021-07-14

 コロナで、外へ飲みに行くということが全く無くなった。一番最近お店で飲んだのは一年と三カ月以上前になる。恐らく成人してからこんなに長く飲みに出ていないのは初めてだと思われる。私は家での夕食時に晩酌はしないので、お酒を飲むときはいつも居酒屋などのお店になる。だから先日ZOOM飲み会なるものを2回ほどやってみたものの、お酒自体を口にする機会がすっかり無くなった。基本的にお酒はあまり好きではなく強くもなく、あくまで盛り上がるための道具のように捉えている傾向が強い。このままお酒を止めてしまおうかとも考え始めている。

 今までどれだけお金を飲み会につぎ込んできただろう。一回出れば1軒では済まない。2軒目3軒目となれば、一万円は覚悟する感じだろうか。帰りのタクシー代などを含めれば一万円では足りない。そんな夜を私はいったい何度過ごしてきたのだろう。一生懸命働いて稼いだお金の使い方は、あれであっていたんだろうか?飲んだお金を取り戻すことはできないが、これからの使い方を正すことはできる。本当にお酒を止めてしまおうか。

 お酒を飲むと私はおしゃべりになる。そういう人は多いと思う。よせばいいのに余計なことまで喋ってしまう。次の朝、「何であんなこと言っちゃったんだろう!」と大抵は後悔する。まだ酔いが醒めていないせいか、その度合いはいつも酷く激しい。「穴があったら入りたい」というのはああいう気持ちのことだ。その日一日、後悔の念で頭がいっぱいになってしまい、何をしていても頭から離れない。気分としては最悪の部類に入る。なぜあんな嫌な気持ちになることを分かっていて、お酒に手を出してしまうんだろう。だんだん耐えられなくなってきている気がする。そろそろ止める潮時なのかもしれない。

 「飲みにケーション」については以前にも書いた。確かにお酒の席では上司などに普段言えないことを言ってしまえる勇気を授かる場合がある。そういう風景は日本の文化の一部でもあると思う。私もどっぷりその中で生きてきた。お金のことだけを考えればもったいなかったと思うが、それは結果論だ。お酒は私に多くのことを教えてくれた。仕事ができなくて見下され悔しい思いをした時も、その後の飲み会で元気に立ち回ったことで見直され、溶け込んで行けたこともあった。ズルいかもしれないが、無邪気で“かわいげ”のあるタイプは好かれ、人間なんてそんなもんだ。

 人と話をするのは大好き。心が通じ合う会話はもちろん、たとえ何気ない世間話だったとしても、私はしたい。ただそこにあとあと後悔するような要素を入れることはもう必要なくなってきたかなと思う。何かの勢いを借りなければ話せないようなことは、もう話さなくてもいいかなと。
 お酒と一緒に食べた方がおいしくいただける料理があるし、「断固として一滴も頂きません」と意固地になるのも違うと思う。カッコよく言えば「大人の飲み方」ということになるのだろうか、飲んだとしても少なくともそちらの方向を目指すべきかなと思う。

  あの店、コロナで潰れてないだろうなぁ……

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