堕落の天使

投稿者: | 2021-07-17

 下品だと言われようが何を言われようが、私はお笑い芸人の松本人志さんが大好きだ。ファンになってもう30年以上になるだろうか。たまに面白いのかどうか理解できないネタもあるが、Twitterで「つまんねぇ」と思うコメントもあるが、そういうこともひっくるめて全部大好きだ。だって好きなんだからしょうがないじゃんという感じ。ほとんどテレビは観ないが、松本さんの番組だけは録画して観るようにしている。

 その松本さんが近年世の中の評価を上げているというか、話す内容が常に注目されるようになっているようだ。テレビで発言するとすぐにネットニュースに取り上げられるような現象が起きているらしい。人々が見たがる読みたがる記事をどこよりも早く提供しようとしのぎを削るネット社会において、松本さんの発言が毎週のように重用されている事実は一つの社会現象と言えるかもしれない。恐らく新聞の読者なんかよりもよっぽど多い人数が松本さんのネット記事を読み、その内容について“ああでもないこうでもない”と意見を投稿し合ったりしている。本人はこの現象をどう思っているのだろう。

 一生懸命勉強していい大学に入っていい研究をしてノーベル賞を取った人は尊敬される。現代の人類社会において「偉業の達成」であろう。勉強して身体も鍛え、努力を重ねて宇宙飛行士になり、そして実際に空の彼方へ。人類にとって「夢の実現」と言えるかもしれない。また大会社の社長さんになって大勢の社員を牽引したり、総理大臣になって外国と交渉し日本のために働いたりと、いわゆる勤勉な努力の積み重ねで地位を築き、評価を得て尊敬を集めていく。こういったパターンはごく一部の人しか達成していない余りにも困難な大成功例だが、とりあえず「良い子が目指すこと」とは、こういった人々から敬われるだろう職に就くことではないだろうか。

 人間誰もがそういった高い地位につけるほど優秀だとは限らない。少なくとも私は高校の時の数学で「log」という得体の知れない記号が出てきた時から、自分の能力の限界を悟った。頭が割れそうに痛み、それ以上理数系への道は進めなかった。数学だけのことに限らず私が少しずつ世の中に目が向き始め、自分と社会との距離感覚を取得しようとしていた期間、当然のように壁にぶつかった。そんな時、今考えればだが、私は松本さんが作ってくれる楽しい空想世界に逃げ込んだのかもしれない。「そんなにムリしなくても、もっと楽しい世界があるで~」と、松本さんが“おいでおいで”と手招きする仕草に甘えてしまったのかもしれない。

 もちろん今では高い地位に就くことだけが崇高な行為ではないと分かっている。けれども“期待”を感じてそういうことを目指す義務を感じていた時期も確かにあって、期待に応えられない自分を卑下していた。苦しむだけが人生ではないと教えてくれる松本さんに、私はいつも助けられた。ファンでいられないわけがない。
 しかし独占欲と言うか不思議な感覚があって、あまりに松本さんが注目されると何だか面白くないと感じる自分に気づく。私には皆が「いい、いい、凄い、凄い」と言い始めると醒めてしまう傾向がある。松本さんに人気があろうがなかろうが今まであまり気にしたことがなかったが、これだけネットで騒がれる様子を目の当たりにすると、「オレの松ちゃんを放っておいてくれ!」という怒りにも似た感情が走る。

 松本さんがノーベル賞を取ったり、宇宙飛行士になったりすることは恐らくないだろう。そういったこととは正反対の世界で生きている人かもしれない。しかしそういった自分が知らない外の世界にしか希望があるのではなく、日々の生活の機微の中に生きるヒントがあることを暗に教えてくれた恩人でもあると思う。凄い人だと思う。

 神さまと向き合うようになって、「松ちゃんが好き」と堂々と言えるようになった

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