どこかで遠慮している。私の商売はお客様のためにビデオを作ること。お客様が企業であれば会社紹介のために、学校であれば学校紹介用に、企業が取り扱っている商品についてであれば商品PRのために、等々お客様からお金を頂いてご要望にお応えできる映像を完成させることが業務だ。そうした状況下で、私はどこか自分の仕事について、いつも言い訳をしながら従事してきたような気がしている。「お客様のご要望が○○だから」とか、「今回予算がないから」とか「客はわがままなものだから」とか。何か思うようにいかないことを主にお客様のせいにしてきた嫌いがある。と言うか、そもそもお客様のお好み通りに作ることに面白みを感じなくなってきた感がある。そんなことを言っては元も子もなく、私の商売は成り立たなくなってしまうのだが、駆け出しの頃のあの燃えるような熱い日々を思い返すと、何とも寂しい心持になってしまっている。それが真実だ。
そういう仕事が全体の何%かあってもいい。そうであればこれからも「お客様の為に作る」ということに情熱を燃やせると思う。“お客様の為”が100%という現状を何とか打開したい。お客様が私たちの能力を頼ってくださって、お手伝いさせてもらえることはとても幸せなことだとは重々分かっている。だってそうやって今まで生きてきたわけだから。とてもありがたいことではあるんだけれども、あと何年働けるかカウントダウンできるような歳になってきて、やはりもう一度クリエイターとしての仕事にチャレンジしてみたいと思ってしまう。
「自分が好きなものを好きなように作ってみたい」。誰も作ったことがない私のオリジナル作品。毎日の仕事に忙殺されて余分な時間がなかなか作れず、貯えがあるわけでもなく製作費の捻出も難しい。現状に満足できない日常から逃避するために“夢みたいな話”をしているのに過ぎないと傍からは見えると思う。自分でもこの歳になって何を言っているのかと情けなく思う節もある。けれども何とかかろうじて映像の世界にしがみつき、せっかく生き残って来られたのだから、もう一花咲かせたいと思うのは私のわがままだろうか。
私は食べることにさほどこだわりがない。美味しいものは大好きだし、同じ食べるなら美味しいものをなるべく頂きたいと人並みに願っているとは思うが、そんなに大枚をはたいてまで高級食材を常に口に入れていたいとは全然思っていない。どちらかと言えば腹が膨れれば満足するアバウトなタイプだと思う。何かの都合があって、もし同じメニューが2、3日続いてしまってもたぶん平気だ。
基本的にはそういうタイプなのだが、最近量を食べられなくなってきたことも助けて、たま~にでいいので「凄く美味しいもの少しだけいただきたい」という結構強めの欲求が生まれるようになってきた。その時だけはちょっとだけ値が張っても構わないので、幸せを口の中いっぱいに感じたいと思うことがあるようになった。
この「凄く美味しいものをちょっとだけ」と先述した仕事についての「自分が好きなものを好きなように」という感覚が、私の中ではほとんど同じなのだ。分かりにくい例えになってしまって申し訳ないが、でもちょっと他にいい説明が浮かばない。何でもガツガツ欲しがるんじゃなくて、「自然と本物を見つけようとしているようだ」と言えばもっと分かってもらえるだろうか。自分でも食べものと仕事に対する感覚が重なって心に残っていることは不思議だし意外にも思っている。そしてこうして書いていると、やっぱり歳を取ってわがまま度が上がってきたのかな~とも感じている。
確かに自分の内面の変化を、最近いろいろ感じる