演技すること

投稿者: | 2021-08-22

 ある芝居の演出家の方で、舞台稽古で演者さんたちを指導するときに、徹底して「演技をするな!」と言い続ける人がいるそうだ。「素の自分で演じろ」ということだと思うが、演技者に演技をするなというのは面白くて、また深そうだなと思って聞いていた。それができれば「芝居っぽくない芝居」とか「自然な演技」等の評価に繋がるのかもしれないが、真意は私が知らないもっと別のところにあるのかもしれない。

 以前に高等学校の合唱部が競い合う「合唱コンクール」を見に行った。各出場チームが発表し合い、審査で優劣が決められ、成績優秀チームは次の上位大会へと進出できる。私は合唱のことはよく分からない。どうやったら点数をつけられるのかいつも不思議だ。でもまぁ、だいたい人並みに上手い下手は分かるつもりではいるが。
 きちっと整列して、直立不動まではいかなくてもある意味で「個性」を抑え、統一感を保ちながら整然と美しい歌声を響かせているチームが多く見られた。そんな中で、一人一人が肩を揺らしながら、鬼気迫る表情をいっぱいに表現しつつ、とても自由で迫力のある演奏をしていたチームが目に留まった。私には彼らそれぞれが歌いながら「演技」しているように見えた。それがとても自然な演技で躍動感があって、こう、伝わってきたと言うか、こちらの心に入り込まれているような気がして、むしろ焦りを感じた。圧倒され、おかしな表現だが「負けた」と思った。まさか高校レベルの合唱コンクールでそんな感じになるとは思いもよらず、やはりライブはいいものだと再確認させてもらった。
 そういう歌い方・演奏の仕方が合唱の世界でどう評価されるのかは分からない。しかし私はそのチームに人間の「本気」みたいなものを見た気がした。そこまで来るには相当に練習したんだろうと思う。でないとあそこまでは仕上がらない。その過程で色々良いこと悪いこと、あったんだろうと想像する。その努力を無駄にしないがための「本気」だったかもしれないし、頑張ったからこそ必然的に「本気」が現れたのかもしれない。普段忘れがちな「本気の姿」って美しいなと、そう思い出させてもらった。感謝。

 簡単ではない。簡単ではないが、本気でやればいいのかなと思う。本気とは「冗談などではない、本当の気持ち。真剣な気持ち。」と辞書に書いてある。これだと思って本気で取り組む場合もあるだろうし、何かやっていたら段々本気になってきたという場合があるかもしれない。そして本気で“やる”ということは、自分が持っているもの全てを最高レベルまで高めた状態で注ぎ込むということだ。全くもって簡単ではない。でも本気で何かに取り組んでいられるときは、きっと幸せを感じられると思う。

 仮に自分が役者になったことを想定してみる。どうやったらいい演技ができるかなと考える。恐らく考える時点で間違っているのかなと思う。役者経験の無い私の中に答えなどあるはずがない。答えがあるとすれば、「本気でその役に入り込んでみる」ということになるのではないか。その役の人間性を可能な限り自分の中に落とし込んで、設定された立場・状況を追体験し、本気でその役になり切る。「本気」が飾り気のない「真の演技」を生み出すのではないだろうか。それが「芝居をするな」という演出の意図なのかなと思った。

 ああ、そのチーム、最優秀賞を獲ってましたよ。

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