本を読む時はなるべく短い時間で読み終えて、次から次へとなるべくたくさん読みたいという強い欲求がある。でも実際に読んでみるとせっかく出会った本と、よっぽどの縁がない限り二度と開くことはないだろう本と、精一杯向き合って一言一句はもちろん行間に隠された意味まで漏らさず読み解きたいという願望が常に勝る。速読の教室に通っていた経験もあるので、その技術を生かして最初は3行ずつ読んでみたりもするのだが、内容が全然頭に入ってこず、結局一行ずつ目を走らせることになる。結果、なかなか読書量が多くならないというのが現状だ。
ある人気バンドグループのリーダーがテレビで言っていた。「同じ音楽を聞いていても人によって引っかかるところが違う」。それほど目新しい言葉ではないけれども、私はそれを聞いてハッと引っかかったし、音楽に限らない事にも当てはまるなと思った。朝に同じ新聞を読んでも、出社してみんなで話題にしたいと思う記事は人によって異なることはあるだろうし、同じ映画を友人と観に行ってもその映画に対する好き嫌いや評価はそれぞれだろう。当たり前と言えば当たり前の事だが、そういうところにその人の個性とか感覚というものが現れてくる。
何故だか理由は説明できないんだけれども、自然と気持ちがある物や所に惹きつけられてしまうことがたまにある。時には自分の中の規制を取っ払って、周りの常識に惑わされず、関心が赴くところに身を任せてみるのもいいかもしれない。そこに本当の自分、進みたい道を探せるヒントがあるかもしれないから。彼の一言は私をこのような考えに導いてくれた。
本を読んで引っかかるところも人それぞれだ。以前に読んだ本を今読み返すと引っかかるところが違う場合があるように、自分の中にも変化・違いが生まれる。「一言一句逃さずに」と張り切ってはみるものの、実際に一回読んだくらいで一冊まるごと記憶できるわけがない。悲しいかな脳裏に残るのは、漠然とした大体の印象ぐらいだろうか。
しかし全体的な事ではなく、集中して内容を思い返してみようとすると、意外に思い出せることが多いことに気づく。「確か気に入ったセリフがあったんだけど、この辺だったかな~?」等と正確にとはいかないが、断片が残っている場合が確かにある。普段は意識上に浮かんでは来ないが、“引っかかった”ところはちゃんと私の中に眠っている。その辺は少し自分を信頼してあげてもいいかなと思う。
今までで自分に起こった出来事の中でも、普段はすっかり忘れているが、その時に立ち帰って集中するとだんだんと記憶の糸が繋がっていくことがある。その時の記憶はちゃんと私の中に眠っているということだと思う。もしかしたら忘れたと思っている様々な“引っかかった”記憶は忘れていないのかもしれない。自分にとって大切な経験とも言い換えられるだろうか。その眠っている大切な経験を揺すって、頻繁に起こしてあげる作業なのかもしれない。普段は自分の中で眠っている「本当の自分を見つけるヒント」を、なるべくいつも意識上に上げてキープできたら、何か少し変わってくるような気がする。
速読の技術習得には、懲りずに未だ執着がある