凡人

投稿者: | 2021-08-30

 絵画や彫刻、音楽などの芸術作品についてはちょっとよく分からないが、自分の考えや思いを他者に伝えるための手段として印刷物や映像作品等を作ろうとする場合、可能ならば複数の人間に関わってもらった方が良いと思う。作者がとても著名な方で「受け手がそれぞれ何かを感じ取ってくれれば良い」くらいの強気で、見たくないなら見なくて良いくらいの感じで作ることが許されるなら、羨ましいというか、大いにそのノリで作り続けて欲しいと思う。有名ではなくとも「人の意見なんてどうでもいい、作りたいものを作る」という立ち位置の人も同様に、自由に作ったら良い。まぁこんな風に考えること自体、私が凡人で世の中に認められる才能を持たないことの証明かもしれないが。

 一人で何かを作っていると、どうしても自分の小さな世界の中の論理で組み立てようとしてしまい、第三者的な立場でその作品を見つめられなくなる。その「小さな世界」が一番重要な事は言うまでもない。そこからの発想が作品の隅々までを司るのだから、最も大切に育んでおかなければならないもののはずだ。芸術家の大先生たちにとってもそこはきっと一緒だと思う。
 その伝え方・表現の仕方を考える時に私にとって問題なのは、自分の中で当たり前の事を誰にとっても当たり前と錯覚して扱ってしまい、結果的に唐突で独りよがりの内容・展開に陥ってしまうことだ。時にはそれに気づいて立て直そうとするのだが、混乱して何が正しいのか冷静に考えられなくなってしまう。精神的にも非常に苦しい。一生懸命であればあるほど混乱の渦に飲み込まれがちで、分からなくなってしまう。時間に追われていればなおさら抜け出し難くなる。そんなように藻掻いていると、やがて「意味が分からない」と評価を受けてしまう「最も恐ろしい結末」を迎える恐怖が襲いかかってくる。

 やはり作品を作るに当たって、“下手くそ”と思わせないと言うか、不注意のミスや受け手に「あれ?」といった、いわゆる“違和感”を抱かせないもの作りを目指したい。最低限そのレベルはクリアした上で、作品の独創性なり目付けの面白さや深みを出していくことができればと思う。それをするには「冷静な目」、「違う視点」、「違う経験」をもった『他者のフィルター』が私には必要だ。自分だけでは冷静さに徹しきることができない。
 「自分を信じるな」と言っているわけではないし、「他者を頼れ!」と思っている訳ではない。あくまでも基本は自分の小さな世界で起きていることで良い。しかし人々と私の間には距離が存在し、それはなかなか自分だけの物差しでは測りきれない性質のもののようだ。頼ることが強さを生み出すこともある。

 他者に頼れば、彼らとの衝突を避けられない事態が恐らく生まれると思う。だが一人の人間は人と人の間でしか磨かれない、成長できないと私が信じるように、作品にも同じようなことが言えるような気がする。仲間の中で磨かれ、それからより多くの人の間で揉まれる。そういった過程で踏みならされることで、もの作りがより「本物」に近づいていくような気がしてならない。どうせトライするなら本物とか真実とか真理とか、そういう類いを追究したい。

 今日の文は独りよがりになってないかな??

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