投稿者: | 2021-09-02

 コンピュータの前に座って一日仕事をする日が多い。主に使用するアプリケーションはAdobeさんの「Illustrator」「Photoshop」をはじめ、「Word」「Excel」やもちろんメーラー・ブラウザも多用する。「PowerPoint」はあまり使わない。「FTP関連」や「LINE」と「Dropbox」も必需品だ。その他アクセサリー系のものを絡めて仕事をこなしていく。

 そんな中で、毎日お世話になっている、例えば「Illustrator」のことを考えた時に、私はどこまでこのソフトのことを理解できているのかと疑問になる。オンライン講座で極々初歩的な操作方法は学んだが、それ以外ちゃんと教わったことはなく、ほとんど独学でここまで来た。振り返るとちょっと恐い気もする。これだけの知識しかないのに、今までどれだけ印刷物のデザインを手がけてきたかと考えると冷や汗が出る思いだ。
 コンピュータでの作業は嫌いではないので、興味はある。「Illustrator」の機能を“しゃぶり尽くしたい”という気持ちもある。もっと色んなびっくりするような手法をデザイン上で使ってみたいし、単純に一つのソフトに対して完全に制圧してみたいという欲求がある。しかし実際には食指が動かないと言うか、そのソフトを追求する為に時間を割くことは、私にはちょっとできない。プロ意識が足りないと言われればそうかもしれない。職人として技術を常日頃から磨くという作業が私には身についていないと言える。持っているテクニカルな引き出しが多ければ、もしかしたら生まれるアイデアの幅が広がるかもしれないのに。
 他方で仕事のオーダーなり自分が表現したいものがあって、それを実現するためであれば、そのソフトのことを必死になって勉強できる。しかしソフトはあくまでも目的を具現化するための道具であって、ソフトを頭の中心には据えることができない。私には必要に迫られないと真剣に何かに向き合うことができない性質があるようだ。

 ということは、必要に迫られればいいのかと思う。ちょっとマゾヒスティックな考え方・手法かもしれないが、プライベートでも何でも自分を“ヤバい”状態に追い込んでしまえば、自然と窮地を脱しようと勉強し出すのではないか。良い意味で自分を騙すような感じ。つまり自分で仕掛けたワナに、わざと自分でかかってしまえば、職人気質に変身できるかもしれない。自分に懸けてみるというか、何だか他人事のようだが、敢えて厳しい道へ誘導してみるようなイメージで。

 このブログを始めて、毎日辞書を引くようになった。国語、英和、和英を使っている。それ以前では、いつ辞書を手にしたか覚えていない。分からない言葉はググっていた。辞書を引いていると探している以外の言葉にも目が留まる。たどり着くまでの行程でもそうだし、その言葉の周辺の他の言葉も自然と読んでしまうことがある。ネット上ではそういうことはあまり起きなかった。
 ブログには正しい表記をしたいと思っている。なるべく自分の世界に留まらずに、世間で通用する表現方法で書きたい。そう思ったら辞書を引いていた。必要に駆られて、誰かから強いられたわけでなく、自然と自分の勉強が始まっていた。そういうことだと思う。
 私にとっては「イラレ」を使うのも「言葉」を使うのも同じことで、それらは自分の目的を成し遂げるための道具に過ぎない。けれどもその道具を使う技術を私が磨かないと、思うように自分を表現できない。だから技術にばかりこだわって、コンセプトがぼやけてしまうようではやる意味がないけれど、ある意味で耐えて、“腕”を上げていくことは、行く道を進むに当たって足に強さを宿す一つの大切な行為だなと思った。

 辞書を引いていると、たまに寄り道しすぎて、何を探しているのか忘れてしまう

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