吸い玉(その2)

投稿者: | 2021-09-04

 中学生時代のアイドル、アントニオ猪木さんも当時この吸い玉治療をしていたようだ。まるで爬虫類にでも変身したかのように、まぁるく赤紫色に変色した10~12個くらいの治療痕を、背骨の両脇たて二列に蓄えた猪木さんの背中は、不気味でもあり、やっぱりカッコよかった。あの猪木さんと同じ治療をしているという、何だか同士のような親近感が湧き、憧れもあって私も思い切って背中全面に吸い玉をしてもらった。

 3年生の春に野球の大きな大会が間近に迫り、おまけに生徒会の仕事が本格化して忙しくなってしまい、ついでに勉強も頑張らなくてはいけない時期ということで、いろいろ大変な状況になってしまっていた。そんなこんなで心労が祟ったのか、ちょうど背中が爬虫類化しているその時に「帯状疱疹」を発症してしまい、皮膚科に通わなければならなくなってしまった。
 その皮膚科のお医者さまは、そんな東洋医学と言うか鍼治療のこと何かは全く認めておらず、むしろ否定的な考えの方だった。私の背中を見た瞬間にキレて、「こんなことをやったって、皮膚を無理やり引っ張ってアザになっているだけで、治療効果は愚か体を痛めつけているだけだ!!」と怒鳴られ、後ろ向きで写真まで撮られた。どこかの学会に発表すると言っていた。初対面なのにあまりにも無礼な振る舞いに頭に来て、その皮膚科には二度と行かなかった。
 けれども変わらずの体のだるさや疱疹の激痛には困り果てていた。皮膚科の先生曰く、治すには疲労を回復しなければならないということで、野球の練習は休んでいて、でも一刻も早く復帰しなければならない。当時は「練習を一日休んだら取り戻すのに三日かかる」と言われていた。焦りと感覚を忘れる不安でいっぱいになり、精神的な疲労は反対に重なっていく。
 帯状疱疹とは体表を取り巻くように帯状に疱疹が出てしまう病気で、その“おでき”みたいな出来物が服や何かに触れると酷く痛むのだ。しかも患部を乾燥させなくてはいけないとかで、確か包帯などで覆い隠すことはできなかったと記憶している。私の場合は背中に出ていた。抵抗力の乏しい老人に多く発症しやすい病気だそうだ。
 困り果てて最後に鍼の先生のところに行ってみた。鍼の先生は恐らく当時で60歳を超えていたと思う。口数の少ない穏やかな方で、よく私の話を聞いてくれた上で施術方法を決めてくれていたと思う。皮膚科での出来事と病気のことについて相談すると、その背中の一番激痛が走っていた疱疹に吸い玉を当てて、中の膿というか汁というか、透明な粘液のようなものを吸い出してくれた。あの毒血を吸いだした時と同じ方法だ。
 結論を言うと、その治療をした後、そこの出来物がカサベタに変わり痛みは消えて治ってしまった。他の箇所のおできも後を追うように次々と消えていった。とても不思議だった。皮膚科の注射や薬では何も起きなかったのに、散々こき下ろされた“東洋医学”ではみるみるうちに結果に結びついていった。

 そう、実際に何が作用して病気が治ったのかは分からない。帯状疱疹を発症したことは紛れもない事実で、もしかしたら皮膚科での注射が数日後に効いてきて治ったのかもしれないし、練習を休んで体力を回復したからかもしれない。そして本当に私の印象通り、吸い玉が体内の毒素を吸い出してくれたから治ったのかもしれない。何が真実かは確かめようがない。そもそも帯状疱疹の発症は、皮膚科の先生が言ったように、吸い玉治療が私の体を痛めつけたことが原因だった可能性だってある。そう、考えても仕方がない。
 ただ私は今日も、あの頃を思い出すように、背中に丸いあざを携えてプールへ赴こうとしている。

 中学生のくせに、我ながら、行動力がある子だったな~

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