逃げ

投稿者: | 2021-09-17

 世界史のことにそんな詳しいわけではないが、高校時に社会の科目は「世界史」を選んでいたし、一応1年間浪人して文系私立大学の入学を目指した時には「世界史」で準備を進めていた。一社会人としてはだからというわけにはいかないが、日本史にはあまり馴染みがない。中学生で習う程度しか知識がなかった。そこに来てNHKの大河ドラマが嫌いで数年前まで観たことがなかったし、何より“ちょんまげ”姿の役者が演じる「時代劇」が嫌いだった。幼心に「何故わざわざ古い出で立ちでテレビに出ている人がいるのだろう」という疑問を持ち、その嫌悪感のようなものが物心ついた後もずっと続いていた。

 日本の歴史の中で、「節目は3回あった」という捉え方を聞いたことがある。一つ目が政治権力の中心に天皇がついた「大化の改新」、二つ目は武士が政権を掌握した「鎌倉幕府成立」、そして実権を天皇に戻した「明治維新」の三回ということらしい。そういう鳥瞰的な視点で日本の歴史を考えたことがなかったので、なるほどと唸ってしまった。とてもスッキリした整理・解釈の仕方だと思う。例えば戦国時代にはどこで誰と誰が戦って、何人死んで、どうなったとか、そういった細かいことを掘り下げる作業は必要なのだろう。しかし古来悠久の旅をダイナミックに俯瞰で総括する考え方は、大きな流れを掴む意味でも優れていると思う。そこを理解した上で細かい出来事を知っていくと、また一つ違った趣に出会えるのではないか。

 ともあれ余りにも日本の歴史に疎い自分を少し変えたいと思い、ちょっとだけ動いてみた。特に明治以降の近代のことが全然分からない。そういう話題が出ても半可通で凌ぐしかない自分が恥ずかしく、何とか払拭したかった。
 まず司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」を読み、坂本龍馬はもとより勝海舟や西郷隆盛に少し触れてみた。するとそれまで何とも思わなかったと言うか、気づけなかった言葉や物にハッとし、何かが繋がっていくような快感を覚えることが多くなってきた。例えば何かの拍子に「神戸」という街が話題になった時に、口には出さずとも、何も無かった殺風景な街に日本初の海軍養成所が作られた様子を想像してみたりする。頭の中でCG画像が組み立てられていくように神戸の街が開発され、みるみるうちに発展を遂げていく。「竜馬がゆく」を読まなければそんなことは起きなかった。
 大河ドラマで「西郷どん」を観てみた。西郷隆盛をはじめ大久保利通や岩倉具視に触れる。「山口県からは今も有名な政治家が出てくるのに、なぜ鹿児島からは聞こえてこないのだろう」等と考えてみる。故郷の土地が戦場となった戊辰戦争に思いを馳せてみたりする。聞いたことがあるだけだった名前と史実が重なり合っていく。浅田次郎先生の「壬生義士伝」を読んで、この時代の理解を厚くしていく。岩手出身の友人を本人の知らないところで見直してみたりする。今度何かのときに「さすが、南部武士!」とか言ってみようとか。
 そして今、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を読んでいる。全8巻あって、まだ3巻目の最終版辺り。明治維新から全く知らなかった日清・日露戦争のことが書かれていて、余りにも知らな過ぎた事実にも自分にもダブルで驚いている。今度は何が繋がってくれるのか楽しみにしながら読み進めようと思う。登場人物が多くて物語全体の把握が大変ではあるが。

 「日本が世界に誇れる出来事が二つある」と言った人がいる。一つが「明治維新」で、二つ目が「第二次世界大戦からの復興」だそうだ。「俺は世界史専門だから」などと言い訳をこしらえて勉強することから逃げてきた。日本の近代史は世界と切り離して考えられる性質はどこにもなく、それは世界史の一部でもある。“世界史専門”として、知らなかったではお粗末すぎる。「充分に理解する」という領域までは行かなくても、やっぱりもう少し知りたい。もっと色んな事柄に繋がってもらって、自分の中に色無く眠っていた欠片たちを目覚めさせ、彩りを与えたい。

 日本の誇り方を覚えておかないと

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