仕事などで褒められると照れるということがないだろうか。残念ながら私は日ごろ人から褒められるということはあまり起こらないが、たま~にあると非常に恐縮してしまう。「いやいや、そんなことないです。たまたまです。」みたいな感じで。
私は普段はちゃんとしている方だと思う。遅刻もしたことないし、それなりに身なりも整えて出勤しているし、まぁ自分としては礼儀正しく働かせてもらっている。真面目に仕事に取り組んでいて、至って普通の感じだ。しかし、どうだろう、たまに怠けてみたくなる時ってないだろうか。無理をして体裁を整えている証拠なのかもしれないが、“ちゃんとしていたくない”という比較的強い欲求が不意に意識上に現れることがある。それって私だけだろうか。
「私はちゃんとした人間なんかではありません」と、深層心理とか潜在意識においてなのか、どこか深いところで本当は思っているような気がする。「他者から褒められるような人間ではありません」と。でもそんな後ろ向きの心持ちでは仕事には向かえない。お給金がもらえるような、責任ある厳しい仕事はなかなかできない。特にプレッシャーが大きい仕事を請け負ったときは、「世界で一番仕事ができるのは、俺だ!」くらいの意気込みで臨まないとやっていけない。そう思い込まなければ自分を支えきれず潰れてしまっていただろう。だからもしかしたら本心とは正反対の気持ちを無理矢理にこしらえて纏い、自分を騙すというか、励ましつつ頑張っているのかもしれない。そうやって今までやってきたし、それが当たり前で疑いようのないやり方だった。でも最近それをちょっと疑ってみたい気分になってきた。
昔は“仕事ができる”人がもてはやされ、みんなからの尊敬を集め憧れられたものだ。バリバリ働いてたくさん稼いでくることが最も価値のある仕事。もちろん今でも変わらない部分は大いにあるが、私が社会に出始めたバブルの終わり頃はもっと露骨だったように思う。本当の自分を偽り強い人間に変身して、誰もが利益を猛然と求めた。
聞くところによると、今の働いている20代の意識としては、「仕事よりもプライベートを大切にする」とか「昇進しなくてもいいから転勤したくない」とか、「安定が第一」というような、まぁ昔に比べるとおとなしい意見が多いということだ。時代は大いに変わった。とりあえず良い時代になったと言えるんじゃないだろうか。
何が言いたいかと言うと、「弱い自分のまま、本当の自分のまま頑張れないか?」ということ。自分を偽らずに、「ダメな私ですけど一生懸命生きてます」という心持ちで臨めないかという課題。外見には何も変わらない姿勢に映るかもしれないが、それができたら私にとってはとてつもなく大きな変化になると思う。仕事のことなので取引先相手や協力スタッフ、または納期等とのせめぎ合いがあるわけで、決して楽な作業ではない。途中で「心が折れた」等と遊んでいる暇はない。そうしたシビアな実戦の中で、嘘をつかずに自分を支え切れるかが問われる。
恐らく自分一人では難しいのだろうと思う。神さまの存在がなければ、そして私が真に神さまを信じ切ることができなければ、とてもムリだ。でももしそれができたなら、なりたい自分にまた一歩近づけるような気がする。
世界一仕事ができる人は、やっぱり、オレじゃないよね~