その分野に全く精通していなく一から勉強を始めようとする場合は、いきなり難しい文献に当たるのではなく、漫画などでもいいから初めは易しい入門書的な書物から入るといいと聞いたことがある。哲学や経済学等の難解な学問や、例えば株式投資などの勉強についても同じことが言えるとか。難しくて意味が分からない本を無理矢理読んでも、何の役にも立たないことは私にも経験がある。いい方法だと思い、試してみた。
聖書を本気で勉強しようと思い立ったのは、ちょうど5年ほど前。卒業した高校がミッションスクールだったので、その頃から聖書に触れてはいた。毎朝の礼拝に加え、週に一時間「聖書」の授業もあり、一応は勉強もしたことになってはいるが、全然覚えていない。興味がないことはなかったのだが、結局真面目には取り組まず、キリスト教に関してはほとんど素人も同然だった。ところが5年前にその高校時の担任と同窓会で再会し、ビビビッと電気が走ったように「聖書を学びたい」という思いに貫かれ、その先生に教えを請いながら聖書の勉強を始めた。
先生の講義を聴くような形で最初は始めてもらったので、特に前もって予習をしておく必要はなかった。でも私としてはキリスト教の概略理解さえも怪しかったので、「いくら何でもそれではマズい。先生に失礼すぎる」と感じ、とにかく漫画を購入した。当然一気に読み上げた。しかし、何と言うか、つまらないのだ。これから、それこそ全身全霊を込めて学びに打ち込もうと決意したばかりの対象にしては、いわゆる「感動」がなさ過ぎた。どこにでもよくある話という訳ではなく独特の奥深さを蓄えた物語だとは思うが、心に引っかかるような部分が見つけられず、サラっと読み終えてしまった感覚だった。
これでは逆効果だと思い、今度は映画「サン・オブ・ゴッド」を観てみた。イエス・キリストの生涯を端的によくまとめてある作品だと思う。福音書の記述に沿って忠実にストーリーが展開されていて、ちょっとスケールの小ささに物足りなさを感じた部分があるが、非常に分かりやすい秀作だと思う。だがしかし、「感動」というか、魂が揺さぶられるような経験をすることは結局最後までできなかった。既知のストーリーを映画で演出・表現する難しさもあるだろう。
よく考えると、「入門書」と呼ばれる分野の仕事としては、この漫画も映画も役割は充分果たしているのかもしれない。入門書に全てを期待した私が間違っていたような気がする。と同時に、何だかんだと言いつつも、大体の概略は頭に入った部分は大いにあることに気づく。元々そのために試みた方法だったではないか。新しい試み、学びが始まるワクワク感で、少し期待を膨らませ過ぎていたようだ。そういう意味では“入門課程”は成功に終わったと見ていい。今観たり読んだりすると、また違った感想を持つのかもしれない。
この歳になって新しい学びにチャレンジしようというのは、なかなか大変なものがある。しかしこの歳になったからこそ挑戦したくなったのだ。手当たり次第に何でも手を出すつもりは毛頭ない。取り組みたかったけど、今まで目をそらして逃げてきたものにまずは目を向けて、鞭を打とうかと思う。
キリスト教絡みのビデオを、観まくっています