隣国(その1)

投稿者: | 2021-10-29

 カナダに住んでいた頃の話。カナダ人に交じって習っていた合気道の道場に、一人の大学生がいた。彼は大柄で運動能力もあり真面目で、日ごろからとても一生懸命に稽古に取り組んでいた。情熱的だが笑顔が優しい、非常に人懐っこい感じの好青年。よく二人で練習をしたものだった。恐らく6,7歳年下だったが非常に気が合って、私はとても信頼していた。きっと彼も私を友人だと思っていてくれたと思う。彼はカナダで生まれカナダで育ったカナダ人だが、両親は韓国出身なので、英語を話さなければすっかり韓国人に見える外見だった。韓国語はハングル文字しか読めないが、両親から教わって話せるとは言っていた。

 その彼がご両親の母国、韓国へ、確か1年以内の期間だったと思うが、留学することになった。私は彼に会えなくなるのがとても寂しかったが、彼にとっては家族のルーツに触れられる良い経験になるだろうと応援していた。
 そして彼が留学を終えて帰ってくると、びっくりしたことに、「日本人」である私への態度が激変していた。とても冷徹で、蔑んだような、怒っているような、鋭い視線を私に飛ばしていた。自ずと会話は生まれない。私は彼に、或いは私たちの間に、何が起こったのか全く理解できなかった。まさに“人が変わった”ようだった。
 時が経つにつれてだんだん彼は元の彼に戻っていくのだが、頃合いを見て、帰って来た時の、あの怒ったような様子の理由を訊いてみた。要は戦前戦中に日本が韓国と韓国人に対して、いかに残忍な扱いをしていたかを叩きこまれてきたわけだ。韓国の大学で日本の悪口を散々聴かされてきたのだ。私はこの場で何かや誰かを批判するつもりはない。ただたった一年足らずで仲の良かった友達の目つきをあんな風に変えてしまう、韓国という国の「凄さ」と言うか、「システム」と言ったらいいのか、ん~適切な言葉が見つけられないが、とにかく彼が「変わった」理由を知って驚愕した。

 そんなことがあって、ある人に相談してみた。私はその頃カナダでガーディナー(庭師)としてアルバイトしながら生計を立てていた。朝出勤し、日本人の親方からの指示で何人かいる先輩の中の一人とペアを組み、お金持ちの家を回る。草や芝を刈ったり春には花壇に花を植えたりして、お庭の手入れをするのが仕事だった。
 その先輩の中の一人に、もう老人と言っても差し支えない年齢の人がいた。その方は流暢な日本語を話す韓国人だった。英語はダメだったがホントに日本語がお上手で、コミュニケーションはもちろん日本語で取っていた。何故日本語が話せるのか、日本に対してどんな思いがあるか、等々訊いてみた。すると先述の大学生とはまるで反対の答えが返ってきた。日本が韓国を植民地化していた時代に、韓国の学校において「日本語教育」が行われ、その“おかげ”で日本語を喋れるようになったとおっしゃっていた。韓国で今どんな教育が行われているのかは知らないので、その大学生の気持ちは分からない。そして日本には感謝しかないとも。

 本を読むだけでは知り得ない経験を、一つこの時にすることができたと思っている。年代が大きく異なる二人の韓国人の日本に対する思いを、まさに身をもって体験させてもらった。それも何故かカナダで。特にあの時、大学生の目の奥に感じた私に対する「燃えるような憎悪」を忘れる事はできない。

 (その2)へ続く

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