隣国(その2)

投稿者: | 2021-10-30

 数年前にあるキリスト教の団体に誘われて、韓国へ研修旅行へ行ってきた。ちょうどその頃、慰安婦像の設置問題や竹島の領土問題など、日本と韓国の間で外交上の問題が持ち上がり緊張が走っていた時だった。今でもその類の騒ぎが収まったとはとても言える状態ではないが。
 私は初めて韓国へ入国するし、ソウルへ行ったのだが、街を歩いていて私が日本人だと分かったら、誰かが殴りかかって来るのではないかという恐怖心があった。それは20年以上前のカナダでのあの大学生が変わってしまったという体験からも影響を受けた感情だった。ソウルの人々がもしみんなあんな視線を私に集めてきたら相当に恐ろしいだろうし、もしかしたら命の危険があるかもしれない。そんなちょっとした強迫観念にまでに心配は大きくなっていた。それでもこのチャンスに、ぜひ一度韓国に行ってみたかった。

 私の心配は全くの杞憂に終わった。「韓日のキリスト教の団体同士の交流会だったから」ということは大きな理由だとは思う。しかし、ホテルでレストランで街を歩いていて他、2泊3日の旅の中で恐いような思いをしたことは微塵もなかった。それどころか交流会では韓国側の方々は私たちを歓待してくださり、予想外にとても楽しい時間を過ごすことができた。キリスト教関連の集まりではありがちと言えばそうなのだが、初対面とは思えないほど仲良くおしゃべりをしながら夕食を共にすることができた。コミュニケーションは英語で問題なし。笑顔は間違いなく世界の共通語だ。

 滞在期間中、慰安婦とか徴用工とか戦争とか植民地とか賠償とか伊藤博文とか、そういう単語を一度も耳にしなかった。それよりも韓国におけるキリスト教の布教の歴史がいかに過酷なものだったかという紹介があり、そしてこれからの日韓がどうのように協力していくべきかが熱く語られ合っていた。「我々キリスト者が中心となって、懸け橋の役割を担っていこう」という、ネット上で互いに浴びせかけられている罵詈雑言とは正反対の、「友情」が確認された集いになった。最後はあまりに世の中の論調とかけ離れたやり取りになっていたので、ちょっと信じられないくらいだった。非常に安心して、心がとても温まったことを覚えている。
 そのあと一年ほど経ってコロナ禍になってしまい、その後の行き来は残念ながらできていない。今後この“懸け橋”になるために双方が本当に努力できる素地ができたら、かなりやりがいが持てる仕事になるだろうと思っている。頻繁な交流は費用の出どころの問題もあり、多難な試みではある。

 先日、日本生まれで日本育ちの韓国人高校生のスピーチを聴く機会があった。彼は日本人として当たり前に生きてきて、日本人のつもりだし、日本での生活が好きで安心すると言っていた。だが成長するに従い、周りの人たちが彼を「韓国人」として見ていることに気づいていく。「自分は何も変わっていないのに、何か問題を起こしたわけではないのに、周りが勝手に変わっていってしまう」という悩みを吐露していた。そういう差別という現実があることを我々は知っておかなければならない。
 日韓の間には根深い問題が横たわっている。精神的な部分も含んでいて、一朝一夕に解決できるような代物ではない。私はその過去にあった歴史を学びつつ考え、携えながら、両国の未来を見据えた話し合いを進めていくべきだと思う。少なくとも若い人たちを守るのは我々大人の使命だ。

 明洞の大きな教会は、お祈りには最高です!

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