Talk to Me Goose

投稿者: | 2021-11-10

 戦闘機のパイロットだった父親を戦闘で亡くしたその青年は、父と同じ職業に就く道を選んだ。パイロットとしての天才的な感性と資質を兼ね備えた彼は、自信に満ち溢れていた。突き抜ける彼の野心は常識を逸脱し、戦闘機の限界を超えて危険な領域にまで踏み入ってしまう。「自分にはできないことは何も無い」と、過剰なほどに己を信じ切っていた。その姿勢を仲間からも批判され、また説得もされるが、いざ空に飛び立ってしまうとまた危険を顧みず、無謀な賭けに打って出てしまう。そして悲劇が起きる。彼は彼自身の操縦ミスが原因で事故を引き起こし、僚友を失ってしまう。

 彼はこのことで失意のどん底に突き落とされる。飛行することはおろか、自分の命も危なかったその事故時の恐怖に心を支配され、もはや彼は彼ではなくなっていた。誰よりも速く、勇猛果敢に空を駆け巡ることができる自信は、地に落ちた。そして何よりも自分のせいで死なせてしまった、その親友への懺悔の念から立ち直ることができない。絶望の淵に立ち、孤独感に苛まれ、恋人からも自ら距離を置くようになってしまう。恐らく人生において最初にして最大のピンチに立たされた。そのまま彼の人生が終わってしまっても不思議ではなかった。

 結果的に彼は、他でもない「空」という彼の“仕事場”で、自信と誇りを取り戻し、まさに復活する。その時彼に勇気を与えたものは何だったのかと考えれば、ひとえに死なせてしまった親友の存在だったのだと思う。「親友のために自分は生き続けなければいけない」、「彼のためにも、もう他の仲間を自分のせいで死なせるわけにはいかない」という悲痛な覚悟を解放できたからだったのではないか。どん底にあって、自分の本当の願いに素直になれた。「自分なんかどうしようもない、親友さえも守れない、存在価値さえない人間だ」という自分自身に焼き付けた『生きる資格のない人間』という烙印を撃ち落とし、心の奥底から響いてくる声を聞くことができた。
 復活した彼はもう以前の彼ではなくなっている。悲しみも恐怖も自分のダメさも全部ちゃんと存在を意識できて、明日を強く生きる準備が一つ進んだ段階に入ったように見える。さらにカッコよくなったようだ。まさにハッピーエンド。意外と思われるかもしれないが、たぶん私が一番好きな映画「TOP GUN」について、私はこういう解釈をしている。

 何の挫折や失意の経験もなく、成功成功の連続で人生を全うできた人っているのだろうか。私が知らないだけで色んな人が世の中にはいるだろうから、もしかしたら存在するのかもしれない。ホントにそんな人がいたら羨ましいと思うだろうけど、どうだろう、感動はしないかな。やっぱり山あり谷ありでないと“おもしろくない”気がする。
 映画において、SFであったり、時代劇であったり、家族もの、ビジネスもの、刑事もの等々、無数の状況設定があるわけだが、どのような設定かに関わらず往々にして、「愛」とか「人間とは」とか「人生とは」とか、そういう人間性を問うテーマが主題とされる場合が多いと思う。それ以外の要素は全て修飾部。だから私たちは映画を観る度に人間性について考えさせられているのかなと思う。観れば観るほどに。

 I’m not leaving my wingman.

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください