テレワーク

投稿者: | 2021-11-12

 コロナの影響で、少し感染拡大が収まっている現在でも、世間では「テレワーク」が推奨されているそうだ。働き方の歴史的な転換期を迎えているという人もいる。テレワークで仕事が完結するならば、例えば東京の会社に在籍しながら田舎に住むことも理論的には可能になってくる。それは東京一極集中の問題に解決の糸口を見つける一つのきっかけになるかもしれない。本当にそういう時代が来るのだろうか。
 コロナ禍の間、私は幸運なことに職場へ通うことができる環境にあったので、コロナ前と全く変わりなく出勤していた。けれども今後また感染が広がる可能性がないわけではなく、テレワークを強いられることが実際にあるかもしれないことは想定している。

 単純に昼間と夜の違いなのかもしれないが、コンピュータの前に座って何か作業をしようとするとき、職場と自宅では、何というか、違う。部屋の中に一人でいてコンピュータの前に座り、窓から外が見えるという環境は酷似しているのだが、頭の中が別人のように違う。当たり前と言えばそうかもしれない。でも私にはそれが不思議なことのように感じられるのだ。当然自宅にいる方がジャージとかだしリラックスしているのだろう。でもそれだけではないような気がする。
 職場では“きちんと”緊張しているとは思う。個室を出れば挨拶など社会人としての礼儀も見せなければならないし、打ち合わせなどのやりとりもある。言葉遣いをはじめ忖度もあるだろうし、色々気を使いながら、頭を働かせながらホームページや印刷物等の広告内容を相談し部屋に戻る。そしてひたすら個人作業だ。

 もしかしたら「ゾーン」に入った状態というか、最上級に集中して作業できているときは自分がどこにいるのかも忘れて、職場でも家でも関係なく、違いを感じることなく、私自身でいられるのかもしれない。中途半端に「どうしようか」等ととぐろを巻いている程度の真剣度合いだと、おかしくなってしまうのかもしれない。甘えが出るというか。
 しかし常に「ゾーン」に入って全開で仕事を続けることは不可能だ。抜くところとメリハリをつけてやらなければ倒れてしまう。だから職場と家で心持ちに違いが出てしまうのは避けられないことなのかもしれない。むしろ自然なことかも。

 で、どちらの環境の方が良いのか、好きなのか、仕事がはかどるのかという問いを考えると、月並みになってしまって恐縮だが、やはりどちらも一長一短だ。当然自分だけでは広告企画は決められないので、相談できる人が近くにいる職場の方が都合がいいし、やっぱり寂しくない。真面目な打ち合わせばかりではなく、他愛もない会話や冗談等を言い合いながら癒やされることも多いから。刺激も受け、困った時に助けてもらえる場合もある。でも緊張感のせいなのかどこかで頭が固くなっていて、一方家では自由でアイデアが出やすい傾向が強い。特にブログのネタを考える時は家に限る。どうしても昼間に職場でしか時間が取れない場合は、かなり苦戦する。前の晩に家で書いて、次の朝職場で確認しアップするのがベストのパターンだ。
 私は、不可能なことなのかもしれないが、家でも職場でも変わらない自分に憧れる。いつも変わらずに、人がいようがいまいが落ち着いて、物事に真摯に取り組める人間になってみたい。おかしいだろうか?修業は続く。

 テレワークと現場。やっぱりバランス良くどちらも必要という感じ。

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