PAUL

投稿者: | 2021-11-14

 何となくボゥ~っとしている時にフゥっと水泳のイメージが頭に浮かんだ。仕事が一段落して、少し間が空いた一時でもあった。イメージトレーニングと言うとカッコ良すぎだが、「こうやってみたらいいんじゃないか!?」という技術的なヒントみたいなものが不意に浮かんで、そう思ったら居ても立っても居られなくなった。取るものも取り敢えずいつものスイミングスクールとは別の、普通の市民プールへ車を走らせていた。

 前回のスクールのレッスンで何かを掴みかけたような手ごたえがあって、クロールの動きについてなのだが、そのことを頭のどこかでずっと考えていたようだ。それがちょっと時間ができた時に噴き出してきた感じ。これまでも似たようなことはあったが、実際に違うプールへ行って試したのは今回が初めて。いつもと勝手が違うので、知り合いもいないし、でも構わず泳ぎに集中した。クロールで25m泳いだら少し休んでまた泳ぐという繰り返しで、1時間30分を越えて泳ぎまくった。こんなに泳いだのも初めて。最後はもうヘトヘトで泳ぎのバランスが崩れてしまい、これでは逆効果だと思い水から上がった。
 基礎を教えてもらうことは本当に大切で、その後の自己練習はこれほどまでに有意義なものなのかと驚き、改めて確信した。何をするにしても「教わる→自己練習」、この繰り返しが力になる。収穫は非常に大きいもので、スクールでの次のレッスンが楽しみになってきた。市民プールにはまた来ようと思うが、土日は混雑してダメだと思う。また時間がある平日に。

 帰宅して、かなり疲れていることに気づく。そりゃそうだ。少しはしゃぎ過ぎたようだ。ウトウトしていたら、20時くらいに本当に眠ってしまった。気が付くと深夜の2時。「あちゃ~、もう眠れないし、どうしよう…」。以前に購入してまだ観ていなかったブルーレイのことが頭に浮かんだ。キリスト教の“重い”内容の映画なので、“弱っている”時には観づらい作品だ。ズシンとした重厚な信仰心を受け止められるか、その時の精神状態に関わってくる。何となく、「今だ!」と思った。

 タイトルは「パウロ~愛と赦しの物語~」。パウロは恐らくイエス・キリストに直接会ってはいないと言われているが、イエスの死後、イエス様の教えを広く世界へ伝承したキリスト教における巨人だ。パウロが行った伝道の旅、また彼が残した手紙・文章がなければ、新約聖書がこれほどまでに普及したかどうかは分からない。或いはキリスト教が古代ローマ帝国で正式に認められるまでにはもっと時間を要したかもしれない。パウロが存在したことは神さまのご計画の中の出来事ではあろうが、それくらい偉大な功績を遺してくれた恩人だ。
 私はキリスト教の信仰を持ちたいと願っている人間なので、この映画を、「そうだよね、そうだよね」と感動して観ることができた。映画の中で「主の祈り」を大勢が唱えるシーンがあって、自然と一緒に唱えている自分もいた。しかし同時に「キリスト教に関心のない人たちは、この映画をどう観るのだろう?」という疑問がすぐによぎった。全く縁も知識もない人には愚作なのかもしれない。しかしそれでいいのだろうか。私は「キリスト教を知らない人は知らないでいいよ」でいいのだろうか。そんなこと言ったら他の宗教のことは私はよく知らないし……。パウロのように主に生きるべきではないのか。
 一つ言えることは、こういったキリスト教絡みの映画を楽しむための方法として、ちょっと勉強した方がいいだろうことはあると思う。何と言っても世界で最も多くの人々が信仰している宗教なのだから。

 なんか、変なすごい一日だった。

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