投稿者: | 2021-11-17

 私は政治のことはよく分からないし、あまり興味がないというか。一般的なことは報道等で知っているが、経済や外交など政策をこうしたらいい等というビジョンがあるわけではなく、出てきたものに文句をつけるくらいのことしかできない。そういう意味で、私は政治に関しては“受け身”の体勢が日常的だ。文句を言うのは容易く、ゼロから考えることが大変な作業だということは、どの業界でも同じことだと思う。

 先日衆議院選挙の投票があったので行ってきた。小選挙区で個人名を投票し終わり、今度は比例代表のところで政党名を書いて投票するのだが、ここで唖然として思考が止まってしまった。政党名の表記にスーッと目を走らせると、略称名が「民主党」という名前の政党が2つあった。政党の数なんて10個もない。その少ない中で名前が重なるってどういうことだろう?私は誰かが印刷を間違ってそうなってしまったのだと思い込んでいたが、昨日の報道によると、それは意図したものというか、とにかくその2党がそれぞれ「混乱させて申し訳なかった」と謝罪していた。とてもびっくりした。

 選挙って自分のところの名前を書いてもらうことが一番大事なことではないの??そのために声をからして、体力の限界まで街を駆けずり回って、政策を訴え続けたんじゃないの?自分の存在・職を賭けて勝負したんじゃないの??それなのにどうして最後の投票の部分であやふやな態度を取ってしまったんだろう?「どちらにしても『民主党』と書いてもらえれば良い」という、“大人”の策略でもあったんだろうか?
 あの投票の場って、投票する身としては「見られている」というちょっとした緊張感があって、また急かされているような圧迫感があると私はいつも感じる。そんな場でどっちか分からないような面倒な状況があると、思わず分かりやすい、例えば「N党」等と書いて逃げてしまった人がいたとしても私は驚かない。N党は少なかったようだが、「どこに入れても同じだ」と考えている人たち、つまり浮動票はそういう些細なことで行く先が揺れ動いてしまうものなのではないか。そういう必要のない“面倒”を引き起こしてしまった失敗は敗因の一つとして大いに取り上げられて良い点だと思う。

 これは政策がどうのこうのという以前の「常識」の問題だと思う。幼い頃我々は学校で「持ち物には名前を書きなさい」と教わった。それはそのやり方が良い悪いの前に、間違わないようにみんなで事前に準備しましょうという共通認識の呼びかけだった。大げさに言えば、「人間て、間違いやすい生き物だよね」という相対的な認識を植え付ける、ある種の“教育”と言えると思う。
 批判を承知で言えば、もしかしたら浮動票の人たちは「意識が低い」人たちと言えるかもしれない。たとえ同じ政党名が複数あろうが、自分が支持する政党の名前をしっかり覚えていれば何の問題もない話だ。しかし優秀かどうかに関わらず、人間は多様だ。自分たちがその多様な社会を導こうとするならば、「低い」とか「弱い」人たちのことをも慮って、気を配り準備する必要があると思う。世間の人々の立場・見地に立たず、自分たちだけの論理・常識の中だけで行動してしまっているようでは、なかなか色々難しいと思う。

 「忙しくて、そこまで気が回らなかった」って感じかな?

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