コツコツ

投稿者: | 2021-11-26

 何だかんだと忙しくさせてもらっていて、ゆっくりブログを書く時間と体力が残っていない状況にある。本当に有り難いことだと思う。少なくとも私の働きに期待してくださっている方たちがいらっしゃるわけで、儲かる儲からないという次元を超えた領域で、尽力できる場所があるということは幸せの限りだ。
 苦しいとか忙しくて大変だと感じることは、文字通り辛くて嫌なのだけれど、それは幸せなことなんだと思う。働き過ぎや頑張り過ぎには注意しなければならない。一時頑張ってしまうと回復に以前より時間がかかるようになってきていることも事実だ。無理はダメだ。その前提に立って、やっぱり幸せを感じたい。「辛くて幸せだ」という表現は使い方に気をつけなければならないが、「生きている」と実感できる瞬間でもある。必ずしも嬉しい楽しいことばかりが私を嬉しくさせてくれるとは限らない。そう思う。

 私が正しいことをしているかどうかはまた別の話で、分からない。もっとやるべきこと、神さまから与えられる私の使命は他にあって、もっと探し求めて動かなければならないのかもしれないとも思う。例えば人道支援とか、国際貢献とか、高齢者など生活に困っている方々や身体障害者へのサポート、人種差別の問題や地球温暖化……。取りかかるべき問題は数え切れない。そういう意味では何もできていないけれど、しかし私の今の状態では精一杯という感じだ。
 そしてもう一つ最近思うことは、もう少し自分を褒めて許してあげてもいいかなと思うこと。実際に生活している環境からは逃れることはできない。その中で何をすべきか、何ができるかを考えて少しずつ実行していけば、また次の目標が見えてくる。そうすることで少しずつ活動範囲を拡げられれば良いのかと思う。反対に言うと、突然大きいことを始めることは、経済的にも人脈を含めた環境的にもかなり難しく、現実的ではない。本当に小さなことだけれども、でも今しっかり努力はできている。

 「するべき」ことと「できること」を考えて実行していくことは大事なことだが、私がそれ以上に大切に考えているのは、「自分が本当にしたいことは何なのか」を突き詰めること。見つけ出し実行できたとしても、それはもしかしたら誰からも気づかれず、評価されることのない行為なのかもしれない。結果的に人の役に立つことにならないかもしれない。けれども私は真に自分がやりたいと思うことを継続できれば、必ず人の役に立てると信じている。心の奥底に「役に立ちたい」という願いが確かにあることを感じているから。その願いが私の「やりたい」を作り出していると思うから。
 すぐにパッと成し遂げられるような性質の行為では恐らくない。小さなことから始めて、継続できれば、形を変化させながら少しずつ成長していくもののような気がしている。まぁ結局それほど大きなことはできないだろうが。

 繰り返しになるが、これから何をしようとも結果は分からない。でも自分が心から「やりたい」と思うことでないと、続かない。自分の事は分からないことだらけだけど、それだけは分かってきた。幸運にも今きっかけらしきものが見え始めている。いい感じなのだ。しばらくこのままやってみようと思う。と言うか、他に道が見えない。

 前にも似たようなこと書いてるね、たぶん。

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