コンプレックス

投稿者: | 2021-12-10

 以前に知り合いのお宅にお邪魔していた時のこと。最初は何でもなかったのだが、段々何故だか目がかゆくなってきた。ドンドンかゆみが増してきて、充血して大変なことになってきた。市販の目薬をもらって何とかその場はやり過ごしたが、そんなことになったことがなかったので少々驚いた。どうやらその家で飼っていた「犬」が原因らしい。後日調べて分かったことは、私は犬猫アレルギーだった。毛がどうもダメらしい。
 何だか今書きながら、無性に目がかゆくなってきた。

 私がまだ立って歩けない幼児の頃の写真で、家で飼っていた猫と一緒に映っているものがあるが、ペットが家にいた記憶が私にはない。あ、おばあちゃんがインコを飼っていたが、それより大きいものは飼っていないと思う。父が動物を家の中に閉じ込めておくことが嫌いで、我が家はペットを飼わない方針だった。本当の理由はよく分からない。とにかく私は「ペットを飼う」という経験がない。犬猫に免疫がなく育ったので大人になってアレルギーになったのか、生まれ持った性質なのかは分からないが、まぁいずれにしろペットには縁がなかったということだろう。

 だからと言うわけではないのだろうが、私は動物があまり好きではない。というか、恐い。何を考えているのか分からない。分からないものは恐い。そんな感じ。ペットが何を考えているのか等を気にしているようでは距離を縮めることは難しいのだろう。仲良くなれないというか。動物を好きな人はそんなことはお構いなしに、自分の無条件の愛が赴くままにペットなどを可愛がることができるように見える。残念ながら私には全く理解出来ない。パンダのぬいぐるみはかわいいと思わないこともないが、本物のパンダは恐い。珍しい生き物を見に行くことはあっても、かわいくて会いたいからという理由は、私にはちょっと分からない。ものの大小に関わらず。

 「理解できないものを恐がる」。何でもかんでも無理やりにこじつけて、物事を、自分を、理解しようとしているつもりはない。でも昔から動物と接して苦手意識を自覚する時はいつも、「あ~、オレは自分が理解できない対象に恐怖感を持つ人間なんだな~」と思ってしまう。無条件に受け入れられないと言うか。器が小さいというか、何かこう、逞しくないというか、情けない思いがする。つまり私の“よそ者”を頑なに受け入れない性格が露呈してしまうような気がするのだ。
 動物と人間を一緒に扱うのは恐らくまた違うのだと思う。考える出発点が異なるような気もする。ただ「理解できないもの」への対応として、胸を開いていつでもWelcomeできない自分に失望するのだ。新しい刺激に対して、まず自分を守ってしまう。この壁をぶち壊すのは相当難しいチャレンジになる。もう随分長い間患ってきた負い目だ。

 いつでも温かい包容力のある笑顔で、初めての人を向かい入れられる人って、憧れる。その姿ひとつで人格と人生の豊かさが窺える。言わなくても、笑顔が「友だちになりましょう!」って語りかけている。素晴らしい。そういう人って大概動物好きなんだよな~。

 インコさえも、嫌だったからねー

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