五輪

投稿者: | 2021-12-12

 何だか月並み過ぎて気が引けるが、今年も師走ということで、一応一年を振り返ってみたい。日本社会的にはやっぱりオリンピックかなと思う。私は大のスポーツ好きで、4年に一度の世界的なスポーツの祭典を楽しみにしていた。コロナの影響で試合はほぼすべての会場で「無観客」で行われ、盛り上がりは今ひとつだったのだろうが、純粋なプレー自体に私は大いに感動し非常に楽しませてもらった。本来の形でやらせてあげたかったのはやまやまだが、オリンピック自体が中止にならなくて本当に良かった。

 1964年に開催された一回目の「東京オリンピック」は当時の日本国民にとっては“ただの”オリンピックではなかったように感じられる。私の生まれる前の話なので実体験としては分からないが、伝えられ方を観ているとそう感じる。何かこう、自分が出場していたわけではないのに、人生の中での一大イベントだったような捉え方をしているおじさまたちが随分とたくさんいらっしゃるような印象だ。そういう類の今偉くなっている人たちが、「コロナだろうが何だろうが、開催さえしてしまえば日本は劇的な進化を遂げる」という“神話”のようなものに憑りつかれ、ゴリ押ししてくれたから開催に漕ぎつけたのかもしれない。前回の東京はそれほどの強烈なインパクトを日本人の心に刻み付けた、みんなにとっての偉業だったのだろう。

 それと比べてしまうと、今回は確かに物足りないもので終わってしまった感は拭えない。私は選手のプレーに感動したし、スポーツ大会として十二分に楽しむことができた。しかしオリンピックだから、それも自国開催だから、それ以上の何かを期待した人が多いのだと思う。それは経済的な効果もそうだろうし、国際的な交流の機会創出であり、また全世界へ向けて日本という国の良さをアピールするための広報の場でもあったはずだ。
 結果的にはそれらスポーツ以外の分野については裏目に出てしまったようだ。コロナに隠れてあまり報道で取り上げられてはいないが、負債のことだけ考えても取り返しがつかないような額だと思う。興行としては失敗だ。その代償に得たものがあれば、お金では買うことができないような何か尊い意味のあるレガシーのようなものが残れば、溜飲も下がるというものだが、さぁどうだろう。このまましっかり総括することなく、コロナの喧騒に紛れて過去のものにされていくような気がする。誰だって責任は取りたくないだろうなと思う。誰にも取りようがないかもしれないし。

 前回の「東京」は知らないが、オリンピックって聞くと「すげぇ~」というイメージがある。金メダルを獲れば人生が変わってしまうような夢物語の世界。スポーツに携わる人たちにはもちろん、子供たちにとってもまさに夢の舞台だった。ところがそういった憧れのイメージが薄れてきてしまっていることも事実としてある。オリンピックに関してはあまりにも“大人の事情”で物事が左右され過ぎてはいないだろうか。子供たちの夢の為にも、オリンピックの「あり方」そのものを根本から考え直すべきだと思う。

 「IOC、これにて解散!」とかね。

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