アングル

投稿者: | 2021-12-15

 普通の水筒を真横から見れば縦長の四角形だろうが、真上から見れば丸に見える。ピラミッドを横から見れば三角形だろうが、真上や真下から見れば四角形だろう。そういうことだと思う。その対象は何も変わっていないのに、見る側が見る角度や位置を変えることでそれは違う形に見えてくる。もしくは自分は動かず、対象そのものを手に持ってひっくり返すなどして違う角度から見れば形は変わって見える。
 つまり見ようとするものの真の形を捉えようとするなら、様々な角度の違う見方や考え方を用いてアプローチする必要がある。当たり前の事だが、これがなかなかできない人が多いと思う。当たり前すぎると先入観が入って決めつけてしまい、本質をよく見ようとせず、今までの経験の枠内だけで処理してしまうことが多いように思う。もしかしたら経験を重ねた人こそ陥りやすい傾向かもしれない。何故なら面倒臭く骨が折れる作業であることは間違いないから。

 その対象が水筒のように変化がなく目に見えてしっかり存在する場合であれば、下した判断を検証しやすく、そもそも見誤りも少ないかと思う。間違ったとしても修正も簡単だ。しかし人間の世界では様々な問題に相対するその時々で、人々が共通の理解としなければならない対象が「人間の心理」である場合が多いと思う。形や言葉にしにくい非常にやっかいな代物だ。だからこそ様々な角度から、さらに一層の吟味が求められるのだと思う。公式な裁判の場なんかはもちろん、日常の話し合いや会議の場等でも同じなはず。公平性が必要不可欠で、特に偏見や先入観は禁物だ。一度出してみた判断に執着し過ぎるのも御法度だと思う。

 国をまたいで問題が起きることはもはや日常だ。常に現在進行形。世界は繋がっている。文化や人種が違えば考え方や物の捉え方も異なるだろうし、もしかしたら我々日本人が丸く見えているものが、彼らには四角く見えるかもしれない。そんなことはないだろうが、そのくらい価値観や“基準”の違いには留意して外国と付き合うべきだと思う。我々の当たり前は恐らく通用しない。
 そうした何が正しいのか見失ってしまいそうな国際情勢という混沌の中で、物事を真に理解しようとする努力を続けながら、やはり毅然と意見を述べていきたい。いろいろひっくり返して考えて、時には自分もひっくり返って考えて、本当に伝えるべきと信じたことを主張していきたい。

 今日この文章を書きながら、身の回りに起きた事も含めて様々な出来事・問題が脳裏をよぎった。あまりにも片寄った考えのあの人の弁明、押してもダメなんだから引きゃあ良さそうなもんなのに頑なに押し続ける人、北京五輪の外交的ボイコット、原爆投下、真珠湾攻撃、拉致問題、戦争責任etc.……。つまり一つのテーマやニュースを念頭に書き進めたのではなく、書いているうちにたくさんの問題が頭に浮かんできて、それぞれについて考えながら思うままに書いたということ。滅多にこうはならない珍しいパターンだ。今日は結構苦しんだが何とかここまでこぎ着けた。一見段落ごとの繋がりがないように見える、こういう文章の展開・流れみたいなものもありかなと思うし、これが新しい書き方の習得に繋がれば、また武器が増えて書くのが楽になるかもしれない。

 先入観を持っていることに、まず気づけるか。

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