それから[and then]
いろんなことを感じて、考えることで、何とかかんとかその時点での自分なりの“答え”が舞い降りてくることがある。胸のつかえが取れたようにスッと気持ちが良くて、視界が晴れたような思いがする。そんな時は、決めつけることはできな… 続きを読む »
いろんなことを感じて、考えることで、何とかかんとかその時点での自分なりの“答え”が舞い降りてくることがある。胸のつかえが取れたようにスッと気持ちが良くて、視界が晴れたような思いがする。そんな時は、決めつけることはできな… 続きを読む »
大学時代もあまり勉強しなかった。私が人生で一番集中して勉強したのは中学1、2年生の頃で、それ以降は本気で勉強したという感覚がない。費やした時間は高校受験や大学受験の時の方が断然多かったが、芯の部分というか、純粋に心の底… 続きを読む »
時間が流れている以上、私が同じところに留まるということはない。次の瞬間は誰にとっても経験したことがない未知の世界だ。同じ自分は二度と戻ってこなく、つまり私は変化し続けるということだ。その変化の仕方を「成長」の方向へ持っ… 続きを読む »
どうしても集中できないということがある。焦れば焦るほど気持ちが散漫になってしまって、悪循環が始まってしまう。そういう時は諦めて寝るのが一番だとは思うが、状況的にそうもいかない場合があり、人生なかなか思うように上手くはい… 続きを読む »
「この人イヤだな~、キラいだな~」と思ってしまう人が、私の本当の姿を映し出す鏡の役割を果たしてくれているかもしれないことは、少し前に書いた。その人を通して神さまが私に真の姿を提示してくれているのかもしれない。それなのに… 続きを読む »
負けて悔しいという思いがある。私は連戦連敗で、勝ったという例があまりない。真剣に取り組んだものであればあるほど悔しい気持ちは大きく、それが次への動機づけに繋がることはよくあることだと思う。反対に、負けて悔しくないような… 続きを読む »
精神的に最初は緊張しても、何度もやっているうちに「慣れてくる」ということがあると思う。慣れは緊張を和らげ、心にゆとりをもたらしてくれる。時には充実感ややりがい等を感じさせてくれることまである。一つの区切りであり、何か新… 続きを読む »
私は自分の事を人に話すことが好きではない。自分の事を話していると、何となくいつの間にか自慢話になってしまい、不快な自己嫌悪に陥る。私は人に何かを自慢できるような人間ではないし、自慢するような人にはなりたくない。本当にそ… 続きを読む »
私が小さかった頃、定食屋さんなのか居酒屋なのか定かではないが、そういう場所に何かのタイミングで親に連れられていくことがたまにあった。顔の大きいオジさんたちが、酔っ払っているのか、いつも大声でお店の女性店員を呼びつけて注… 続きを読む »
本や聖書を読んだり、ニュースや教養番組を観たりして、「知識を増やそう」、「知恵を養おう」等と一生懸命に取り組んではみるものの、私は結局のところ自分の事として考えられないことについては、全くと言って良いほど身につかない。… 続きを読む »