決められない覚悟[Unwillingness to Decide]
今日、私がこうして生かされて、命を紡いでいることも、間違いなく奇跡である。少なくとも私はそう信じている。だがしかし、このかけがえのない奇跡を、私は日々の生活の中で軽んじてしまう。いつも神さまとイエス様のことを忘れず、感… 続きを読む »
今日、私がこうして生かされて、命を紡いでいることも、間違いなく奇跡である。少なくとも私はそう信じている。だがしかし、このかけがえのない奇跡を、私は日々の生活の中で軽んじてしまう。いつも神さまとイエス様のことを忘れず、感… 続きを読む »
キリスト教の主なる神さまに全てを委ねて、これから生きてゆきたいと本当に思っていると思っている。自分を捨て、主に従って生きるより他に道はない。聖書にそう書いてある。だがしかし、私は本気で自分を捨てようと思っているのだろう… 続きを読む »
私は主に愛されている。主は無条件に私を愛してくださる。そのことを私は知らなかった。全く感じられなかったし、目に見えず、存在しているかどうかもよく分からない方から愛されていると言われても、にわかには信じることができなかっ… 続きを読む »
怠けたい自分が間違いなく私の中にいる。真面目になれないと言うか、わがままで自分勝手で、自分ではコントロールできない自分。或いは時に、何を求めているのか分からなくなる謎の自分。そういう私自身との長い孤独な闘いが、私のこれ… 続きを読む »
みんなの前で祈る時、私はどのような言葉を発すれば良いのか迷う。主なる神様に真っ直ぐに向き合い、心に浮かぶ素直な言葉を自然と口にできるように努めるが、上手くいかない。お祈りの最中に言葉に詰まったり、何を言っているのか自分… 続きを読む »
洗礼を受けてから早一年半が経とうとしている。私は「信仰」というものが何なのか分からないまま受洗した。本当はそれではダメで、しっかり信仰を自分の中にもってからクリスチャンにならなければなかったのかもしれないが、すでにこう… 続きを読む »
判断を迫られる状況になった時、大抵の場合は、自分が正しいと思った行動を取る人が多いだろう。ところが結果的にその判断が間違っていたということになってしまうこともあるし、もっと悪ければ、悪人扱いされてしまうことも起こり得る… 続きを読む »
好むと好まざるとに関わらず、社会生活を営んでいれば、人や所属している団体などから何らかの影響を受けることがある。自分の都合とは関係の無いところで、ある程度の犠牲を払って協力し合ったり、非日常的な役目を任されたりする。つ… 続きを読む »
山々の雄大な景色を見たり、宇宙の神秘に触れたりすると、自分の存在が本当にちっぽけなものに感じられる時がある。世界にはこんなにも美しく素晴らしい自然があるのだと改めて気付かされ、驚愕する。今までは何故そんな風に感じるのだ… 続きを読む »
40代の後半、間もなく50歳になろうとする頃、自分の人生を振り返るような時期を迎える人がいる。私の狭い交友範囲の中においてではあるが、そういう人は多いように感じる。社会に出てから働いたり様々な経験を積んだりする中で、ふ… 続きを読む »