あなたと私[You and I]
私が自分の嫌いなところの一つに、人を見かけで判断してしまうことがある。「この人は、恐らくああいう人だな」というような感じで、話したこともない人の性格を勝手に決めつけてしまう。長年付き合ってきた悪習というか、癖みたいなも… 続きを読む »
私が自分の嫌いなところの一つに、人を見かけで判断してしまうことがある。「この人は、恐らくああいう人だな」というような感じで、話したこともない人の性格を勝手に決めつけてしまう。長年付き合ってきた悪習というか、癖みたいなも… 続きを読む »
恐らくほんの2秒か、3秒に満たないくらいの長さだと思うのだが、私は「間(ま)」にこだわりたい。本当に細かいことで、「そんな小さなことは、どうでも良いだろう」と、誰かに怒られそうだ。でも私はその僅かな「間」に、品性や思い… 続きを読む »
この世に絶望を感じた末に、キリスト教の世界に入ってくる人はもしかしたら多いのかもしれない。様々な人間関係が上手くいかなくなったり、事業に失敗したり、親しい人が天に召されたり。或いは特に何があったわけではなくても、漠然と… 続きを読む »
困っている人に「献身する」とか「寄り添う」などと言うけれど、具体的にそれはどのような行動を指すのだろうか。私が考えるにそれは、自分の時間を他人のために使うということだと思う。ただ一緒にいれば良いというわけではない。同じ… 続きを読む »
日々の生活の中で、何かに思い煩うこと自体が神さまを信用していていない証拠だ。神さまを信じ切れていれば、全ての悩みは消える。悩みも不安も何もかも、神さまに全てお任せすれば良いのだから。しかしそれができないのが私であり、人… 続きを読む »
私は何かと自分の世界に閉じこもりがちな性格だ。人付き合いが基本的に苦手なのだろう、特に初対面の人には緊張してなかなか上手く会話を始めることができない。仕事の営業活動や打ち合わせなどで、ビジネスというフィルターが一枚間に… 続きを読む »
「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神… 続きを読む »
とある旧約聖書の勉強会に参加してきた。結論から言うと、私は本当に聖書を読む質も量も足りず、キリスト教のことを何も分かっていないんだと痛感させられてしまった。聖書には、古代における人間の長い歴史を綴った歴史書としての役割… 続きを読む »
勉強ができて、コミュニケーション能力もあって、スポーツもできてという、この世界にはそういういわゆる“優れた”人たちばかりがいるわけではない。当たり前のことだ。人が羨むような能力の習得を目指して努力することを悪いとは思わ… 続きを読む »
私は正義感が強い方だと思う。それは幼い頃からそうだった。私の中でこうするべきだという真面目な理想があって、それはあながち間違ったものではなかったと思う。例えば、「嘘をつかない」とか、「友達を裏切らない」とかという、現代… 続きを読む »