妨げ[Obstruction]
「自分を捨てる」、「感情を捨てる」としようとしたときに、怒りや嫉妬の感情は比較的すぐに捨てることができるように感じる。覚悟を決めてしまえば、割りと容易く諦められる。しかし自分でも意外だったのは、「怠ける心」。これがなか… 続きを読む »
「自分を捨てる」、「感情を捨てる」としようとしたときに、怒りや嫉妬の感情は比較的すぐに捨てることができるように感じる。覚悟を決めてしまえば、割りと容易く諦められる。しかし自分でも意外だったのは、「怠ける心」。これがなか… 続きを読む »
今日の夕方に起きた小さな出来事。本当にちっぽけなことで、正直どうでもよかったのだけれど、私には判断がつかず、真面目な私としてはどうしても上司にお伺いを立てなければならない案件があった。数分で終わるような相談事だったので… 続きを読む »
つい先日も書いたが、キリスト教には「証しをする」ということがあって、自分がどのようにして受洗するに至ったかという過程を話す機会がある。人によって様々な経緯を経てクリスチャンになって行くわけで、誰かと同じ理由で洗礼を受け… 続きを読む »
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコによる福音書8章34節) 聖書という書物は少し大袈裟に言えば、読むたびに印象が変わる本で、自分の中の何かに引っかかる部分が毎… 続きを読む »
与えられているものや環境、健康などに本当に感謝できるようになってきた。それは単に年齢を重ねたことだけが理由とは思えない。聖書を読み、キリスト教の学びを深めてゆく中で、それまではあって当たり前のように思っていたことが、本… 続きを読む »
何かの出来事やきっかけがあって、こう思うとか、ああ感じるようになったとかという事ではなく、私の心の中には慢性的に、「認められたい」という欲求があるのだと思う。それも相当に強い欲求のようだ。普段はそのような感情があること… 続きを読む »
仕事でもボランティアでも何においても、一生懸命に頑張ったのに、人から分かってもらえない、自分の努力が伝わらないということが起きる。そんな時私は本当にやるせない気持ちになる。「こんなに頑張ったのに、どうして誰も分かってく… 続きを読む »
キリスト教における“業界用語”のような言葉になるのだろうか、「証し」というものがある。自分が如何にしてキリスト教に導かれていったかという経緯と、それに伴った気持ちの変化などをお話することを「証しをする」と言う。信仰生活… 続きを読む »
いろいろな経験をする中で、神さまに導かれたり、感動したり、或いは逆に悲しみに沈んだり、怒りに我を忘れたりすることがある。そう言ったある程度大きな心の動きがあった時だけでなく、本当に些細な心の変化や新しい感情が湧き上がっ… 続きを読む »
いくつになっても、人間関係の構築・維持は難しい。当たり障りのない浅い関係で良いのであれば、単なる職場の同僚のように、相手の出方を窺いながらバランスを取ることはできる。“大人”としての当然の立ち振る舞いだろう。 しかし付… 続きを読む »