Stop Thinking
何かに没頭できているときは本当に幸せだと思う。もしかしたらそのやっていることに意味を見出せないかもしれない。何のためにこんなに苦労しているのだろうと、ふとした瞬間に思ってしまうかもしれない。でも集中してそのことに熱中で… 続きを読む »
何かに没頭できているときは本当に幸せだと思う。もしかしたらそのやっていることに意味を見出せないかもしれない。何のためにこんなに苦労しているのだろうと、ふとした瞬間に思ってしまうかもしれない。でも集中してそのことに熱中で… 続きを読む »
キリスト教を考えるとき、感じる力と想像力を働かせることは不可欠のように感じている。目に見えない神を信じるためには想像する力がまず必要だろう。それに一番新しくて2000年前の物語が、わざとかと思えるほど、読み解きにくい表… 続きを読む »
私は心の奥底では、自分には何でもできると思って生きてきたんだと思う。口では謙遜したような言葉を吐いて隠してきたけれど、根っこの部分で私は、「自分にできないことはない」と信じて生きてきた。神をも恐れぬ自分本位で自己中心的… 続きを読む »
「神さまがどう思われるか」なのだと思う。もちろん人間の私が神さまの意思をすっかり理解できるわけはないけれど、神さまが私にかけてくださる声を聴こうとすることが、まず求められるのだと思う。それが私の言う、「神さまがどう思わ… 続きを読む »
私は毎日のお祈りの中で、まず今日も神さまから命を与えられたことに感謝する。ともすると、何もしなくても次の朝が与えられることを当たり前のように感じてしまい、神さまの恵みを忘れてしまう。そうならないためにも、毎日訪れるこの… 続きを読む »
結局は自分自身との闘いのなのだろう。気に食わない嫌いな人たちも、ついつい見下してしまうグループ内の仲間たちも、私なのだ。一人一人が、私が認めたくない私、私が大嫌いな私の、化身なのだと思う。その人たちとどうやって共に生き… 続きを読む »
簡単に言ってしまえば、グループの中で生きるときに、私は自分の事しか考えないから共にやっていけないのだ。物事が上手くいかない理由を仲間のせいにして、厳しい現実から逃げ続けてきた。「オレは何も悪い事はしていないから」と、責… 続きを読む »
他人の視線を気にして自分の意見や行動を変えて行くことは、私の中では良い事ではない。自分の意見をしっかり持って、何にも惑わされることなく、自分の道を歩んでいきたい。だから他人と比べて私がどうだとか、誰かを敵視して張り合う… 続きを読む »
こうして神さまのことを考え、イエス様の十字架に思いを馳せるとき、私は心に平安を与えられる。とても謙虚な気持ちになることができ、心穏やかでいられる。一人じゃないと思えるというか、イエス様の受難を思うとせつないけれど、やは… 続きを読む »
アイデアが浮かばなかったり、どうしても気分が優れなかったりするときであっても、そのまま投げやりになって何もしないということが少なくなってきた。外側からは何もしていないように見えても、心の中では自分と闘っている。「どうし… 続きを読む »