ちょっとした奇跡[A Small Miracle]
キリスト教の礼拝に参列している時には、必ずみんなで賛美歌を歌う場面がある。ほとんどの場合、その日にどの賛美歌を歌うかは牧師や統括者が決める。牧師が、参列者が歌いやすい曲を選んであげようと思うのは当然で、そうすると一定の… 続きを読む »
キリスト教の礼拝に参列している時には、必ずみんなで賛美歌を歌う場面がある。ほとんどの場合、その日にどの賛美歌を歌うかは牧師や統括者が決める。牧師が、参列者が歌いやすい曲を選んであげようと思うのは当然で、そうすると一定の… 続きを読む »
復活のイエスは、やはり私たちに永久の命を教えてくださったのだと思う。死後にも続く魂の存在を示してくださった。これによって私はある種の“安心”を授かる。死ぬことを恐れている私に、「肉体は滅びても、その続きがあるんだよ」と… 続きを読む »
私にしてみると、「神さまの導き」としか思えないような、自分の意志とは関係なく、或いは意志に反して、思わず取ってしまった行動というものがある。その中で最も代表的な行動は、私がキリスト教の洗礼を受け、プロテスタントのクリス… 続きを読む »
私は自分を本当にわがままな人間だと思う。本気でやる気にならない限り、何もやらない。勉強もしない。本も読まない。掃除も仕事もしない。必要に迫られて仕方なくやることはあったとしても、実際にはやらされているだけで、知識として… 続きを読む »
私の頭の中で、これからの人生において「こうなりたい」とか、「あれをしたい」などという願いはあるけれど、それが成就するかどうかは神さまのご計画次第なのだと思う。そして、それで良いのだろう。自分の思い通りにならない未来に苛… 続きを読む »
どんなに頑張っても報われないことはよくある。最善を尽くしたとしても、その行いが周りから必ずしも好意的に受け入れられたり、良い評価を受けたりするとは限らない。私の場合は評価されない事の方が圧倒的に多いと感じている。確かに… 続きを読む »
聖書を読んでいると、やっぱり新約聖書の言葉の方が私の胸に響く場合が多い。2,000年も前に書かれてものとは言え、旧約に比べればずっと現代に近いわけで、だから言葉の表現が伝わりやすいのかもしれない。 新約聖書の主人公はイ… 続きを読む »
私の名前は、名字がクラスに2、3人もいるような非常に平凡なもので、下の名前の方がちょっとからかわれてしまうような特徴的な名前であり、生まれてから大学に入学する前まではずっと下の名前で呼ばれていた。家族や友達はもちろんの… 続きを読む »
定年という年齢も近いし、充分な蓄えがあるわけでもないし、他にやりたいこともあるし、そんなこんなで焦る気持ちや心配は尽きないのだけれど、大切なのは「今与えられている場所で精いっぱい生きる」ということなのだろう。無意味なき… 続きを読む »
私はキリスト教の神さまに対する感覚というか、向き合い方が間違っているのかもしれないと思う。どこかで私は自分の力によって、「神さまに委ねる」という行いをしようとしている。つまり人生を、自分を中心に考えているのだ。クリスチ… 続きを読む »