ウダウダと[Rambling]
「竹を割ったような性格」と言えば、日本では良い意味で使われる。クドクド考えず、割り切って物事を考えられる人のことを指すと思う。私には、考えるのにあまり時間を要さず、一度決めたらテキパキと行動に移せる、いわゆる「能力があ… 続きを読む »
「竹を割ったような性格」と言えば、日本では良い意味で使われる。クドクド考えず、割り切って物事を考えられる人のことを指すと思う。私には、考えるのにあまり時間を要さず、一度決めたらテキパキと行動に移せる、いわゆる「能力があ… 続きを読む »
私が理想的だと思うのは、神さまの事を考えている時が、私にとっての安らぎの一時であること。神さまと一緒にいられる時が、一番心が休まるときでありたいというか、そうでなければダメなのではないかと思う。しかし残念ながら、そうは… 続きを読む »
大勢の面前で、自分が感じた何かを本気で伝えようとすることは、大変な作業だ。別に私のことを誰かに伝える必要はなく、わざわざそんな大変なことをやらなくても、誰からも文句は言われない。避けて通ったとしても普通に生きていける。… 続きを読む »
自分がやろうと思って行動したのではなく、まるで何かの力に操られたかのように、無意識に行動してしまったという経験はないだろうか。ハッキリと意図して動いたのではなく、何となく流れに任せていたら、そうなってしまっていたという… 続きを読む »
今日、ある会合で30分間のスピーチを頼まれ、何とかこなしてきた。終わった時は本当に息も絶え絶えといった感じで、今は非常に消耗しており、しっかり振り返る余裕が持てない。けれど何を書こうかと構えた時、今日のその出来事に触れ… 続きを読む »
何故だか最近はいつもより早く目が覚めてしまうことがあり、少し聖書を読むことから一日を始めている。とても良い感じだ。心が引き締まるというよりも、元気が湧いてくるイメージ。不安や心配が尽きない毎日だけれど、朝一番に根拠のな… 続きを読む »
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1章31節) 神さまは御自分にかたどって人を創造された。そして人もその他の創造物と同様に、「… 続きを読む »
大人になってから、泣くことがすっかりなくなった。小さな頃はよく泣いていたような記憶がある。泣きたくないから、早く大人になりたかった。泣き顔を見せるのは嫌だったし、幼心に屈辱を感じていた。自分の弱さが露呈するようで、本当… 続きを読む »
キリスト教の礼拝に参列している時には、必ずみんなで賛美歌を歌う場面がある。ほとんどの場合、その日にどの賛美歌を歌うかは牧師や統括者が決める。牧師が、参列者が歌いやすい曲を選んであげようと思うのは当然で、そうすると一定の… 続きを読む »
復活のイエスは、やはり私たちに永久の命を教えてくださったのだと思う。死後にも続く魂の存在を示してくださった。これによって私はある種の“安心”を授かる。死ぬことを恐れている私に、「肉体は滅びても、その続きがあるんだよ」と… 続きを読む »