とある日の湖[One Day at the Lake]
何かと忙しい日々を暮らしていると、自然に触れるような機会はほとんどない。少しでも時間が空いたときは、早く帰宅して身体を休めたいと思うばかりだ。残った体力を使ってちょっと郊外へ出かけ、気分転換してみようというような発想は… 続きを読む »
何かと忙しい日々を暮らしていると、自然に触れるような機会はほとんどない。少しでも時間が空いたときは、早く帰宅して身体を休めたいと思うばかりだ。残った体力を使ってちょっと郊外へ出かけ、気分転換してみようというような発想は… 続きを読む »
このブログを書くことについて、私としてはもうしばらく続けて書いていきたいという強い願望がある。普段の生活の中で私は、他人の役に立ったり、誰かに誇れたりするようなことは何もできていないけれど、私がこれを書き続けている事実… 続きを読む »
若い頃、20代の頃は世界を知りたいという欲求が強く、故郷を離れ、東京で働いたりカナダに住んでみたりして、様々な経験を積むために外へ出て行った。今でも余裕があれば海外旅行などで出かけたいとは思うが、あの頃ほどの情熱はもう… 続きを読む »
心の中に自分ではどうしようもない闇があり、それは暗く冷たい激しい怒りに満ちていて、私はその存在に怯えている。うまく言えないが、原因が分からない恐ろしさに時おり突然襲われるような感覚。長い間この闇に悩まされてきた。最近は… 続きを読む »
聖書は読む人の数だけ解釈があって良いと思うし、私は基本的に間違った読み方というものはないと思っている。真摯に向き合えば、聖書は必ず応えてくれる。ただ、なるほど!と、胸にスッと落ちる解釈の仕方に触れることが何度もあって、… 続きを読む »
どんなに尊敬していても、或いはとても好きだと思っている人でも、深く付き合い始めると印象が変わってくる。良い方向へ変わっていけば良いのだろうが、何かと欠点が見えてしまうのが大方のケースではないだろうか。「この人は凄い人だ… 続きを読む »
「今度こそちゃんとしよう、しっかり生きよう!」と本気で誓っても、しばらくすると元の怠惰な生活に戻ってしまう。思い立った時に本気だったかどうかと聞かれたら、私は真顔で本気だったと答える。自分では本当に本気のつもりだった。… 続きを読む »
どこまで関わったら「親切」で、どこから先が「お節介」になるのだろう。何かの出来事があって、当事者でもないのに首を突っ込みすぎたら、返って迷惑になることがある。でも助けにはなりたいし、私はどの辺で関わりを止めればいいのか… 続きを読む »
仕事でのことならもちろんだが、プライベートの場面でも「緊張」するということがある。活動の場が拡がるほどに、気を引き締めて掛からなければならないシチュエーションは多くなるのだろう。単純に朝起きて出勤するだけでも緊張を感じ… 続きを読む »
特定の人に「興味を持つ」ことと「関心を持つ」という事は違う、という考え方を教わった。「興味を持つ」は、あくまでも興味を持つ自分の方が中心で、例えば対象の人が何かを発言しても、興味がない内容であれば聞き流してしまえる。“… 続きを読む »