あるべき姿(その1)[The way it should be (Part 1)]
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1章31節) 私はキリスト教の神さまを信じている。信じるに至るまでにはかなり時間がかかったし… 続きを読む »
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1章31節) 私はキリスト教の神さまを信じている。信じるに至るまでにはかなり時間がかかったし… 続きを読む »
知り合いでも友達でも、或いは初めて会ったような人でも、私はそれぞれの人に対してイメージを持つ。家族であってもそうだろう。言葉は交わさずとも、その人が醸し出す雰囲気が何らかの印象を私に与える。年齢や性別、表情や所作、目つ… 続きを読む »
例えば右へ行くか左へ行くか迷うことがあった時に、私は神さまに聞いてみることにしている。ある程度大切な決断を迫られる時のこと。祈りの中でジッと神さまの声に耳を澄ませ、湧き上がってくる思いを受け止めようとする。しかし愚かな… 続きを読む »
私は確かに洗礼を受けてクリスチャンになった。神様を信じている。しかし常に自分の心と行いについて、「クリスチャンとして、これで良いのだろうか」と、問いただしている。信じてはいるが、神さまから「信仰」を授けられたのかどうか… 続きを読む »
残念なのだが、体力的に本当に無理が利かなくなってきた。完全な徹夜作業でもないのだけれど、一晩それに近いような働き方をすると、次の日以降に私自身が使いものにならなくなる。次の日はまだ気を張っている部分があるので何とかなっ… 続きを読む »
こんなに精神的に弱い私でも理性を全面的に押し出し、気合いを入れて、いわゆる“仕事ができる男”を演じられている時がたまにある。心に隙を作ることなく、感情に流されることなく、毅然とした態度で自分の役割を果たす。そんな状態を… 続きを読む »
私はあまり忙しいのは好きではなくて、どちらかと言えば一人でゆっくりしていたい。年齢と共に活動的でなくなっていることも否めない。でもやっぱり外に出て行って、人と人との間で活動した方が、結果的に充実な時間を過ごせると思う。… 続きを読む »
今日は何について書こうかと考えていると、何となく集中できていないのか、なかなかテーマが浮かんでこない時がある。真剣になろうとすればするほど、何だかイライラしてきたりする。そうする内に、「なぜ何も浮かばないのか」と自分を… 続きを読む »
本物になりたい。本物になるにはどうしたらいいのだろう。しかし私の感覚では、そんな風に考えているだけで何もできていないようでは、いつまで経っても本物にはなれない。持っているものを何もかも投げ捨て、本気で一つのことに打ち込… 続きを読む »
ボランティア活動をする中で、誰かが善意で行ってくれていることを否定して良いものだろうか。何の見返りも要求せず、ただ他人の力になろうと頑張っている人を批判できるだろうか。私は出来ない。応援することはできても、やり方が悪い… 続きを読む »