罪と赦し[Christianity Sin and Forgiveness]
私がいつも唱えている「主の祈り」という祈り言葉がある。私の場合、食事をとる直前には必ず唱え、また日曜日の礼拝では全員で声を出して祈る。その他にも、決まったシチュエーションでということではなく、何かあると口ぐせのようにい… 続きを読む »
私がいつも唱えている「主の祈り」という祈り言葉がある。私の場合、食事をとる直前には必ず唱え、また日曜日の礼拝では全員で声を出して祈る。その他にも、決まったシチュエーションでということではなく、何かあると口ぐせのようにい… 続きを読む »
ハッキリと意見を述べることは大切だと思う。おかしいと思ったら毅然とおかしいという事、素晴らしいと思ったらちゃんと口に出して褒めること。誰かに忖度したり、下手に空気を読んだりせずに、自分を装うことなく、正直に自分の気持ち… 続きを読む »
今回パリオリンピックが開催されていて、昔はあんなに好きだったスポーツへの関心が私の中で相当薄れていることに気づかされた。サッカーでも野球でも一試合丸ごと観戦するには最低でも2時間はかかるわけで、そんなに長い時間をかけら… 続きを読む »
私は昨年末に洗礼を受けてプロテスタント系のクリスチャンになり、信仰活動を始めている。その洗礼を受けた母教会での活動だけでなく、カトリックやその他の宗派も含めた超党派の人たちと交流し、幅広く活動したいと実は思っている。宗… 続きを読む »
「そういう意味じゃなかったんだけどな~」ということがある。私が意図していたこととはズレた内容でメッセージが相手に伝わってしまうようなこと。もしくは一番伝えたかったことではない別の事柄が相手から重要視されてしまったりもす… 続きを読む »
「信頼」と「信用」ということについて考えてみたい。辞書によると、信頼は「信じて頼ること」、信用は「信じて用いること」とある。微妙な違いで掴みにくい。他にも、信頼は主観的にその人を信じられると思った時に使い、信用はその人… 続きを読む »
決して悪気があるわけではないのだろうと思うが、話す相手に対して“為になること”を言おうとしたり、教訓を与えてあげようとしたりする人がいる。そのために学者や著名な人物の言葉や研究を必死に調べて参照し、社会や人間を語ろうと… 続きを読む »
私の考えとは正反対くらい違う考え方の人がこの世の中にはいて、それは当然のことだ。皆が同じ考えを持っているとしたら、それはむしろ不自然だ。 例えば、自分が利益を得るためにだったら、他の人を傷つけたり蹴落としたりしてでも手… 続きを読む »
特定の人に「興味を持つ」ことと「関心を持つ」という事は違う、という考え方を教わった。「興味を持つ」は、あくまでも興味を持つ自分の方が中心で、例えば対象の人が何かを発言しても、興味がない内容であれば聞き流してしまえる。“… 続きを読む »
先日、尊敬する恩師と久しぶりに話をする機会に恵まれ、楽しみにしていた。その時の会話で痛感したことの話。私が当然だと思っていることが、対話する相手にとっては当たり前ではないことがある。どんなに仲が良い相手でもそういうこと… 続きを読む »